早朝から。

昨日石巻。今日福島。

新幹線で移動している。

昨日の石巻は、コロナ禍をはさんでずいぶんと久しぶりだった。

来月延期11年ともいえるコンサートの前に、会っておきたい人たちがいた。

そのお一人が、Nさん。

裁判にもなった、大川小学校の悲劇。

多くの子どもたちと先生が、避難の遅れから、津波に飲まれてしまった、いまだにやるせない気持ちになる大きな事件。

そこで帰らぬ子どもたち二人のお母さんがNさんだ。


お兄ちゃんは震災後に見つかったが、妹さんはまだ。ランドセルだけが校舎のてっぺんに打ち上げられた。

この兄妹は、ピアノを習っていて、石巻の大切な友人Mさんの教え子だった。


震災から11年。

Mさんを通して、お母さんか会いたいと言っていると聞いた。うれしかった。

うれしかったけど、こわかった。


大きな美しい北上川のほとりにある大川小学校は、今震災遺構になっている。   

息がとまるほど破壊された校舎は、それでも美しさを残している。


校庭での長い待機、それから県道に向かっての移動、津波はあっという間にみんなを飲み込んだ。

あそこに山があったのに、と言う後ろの山は脱力しそうなほど近くなだらかで、子どもの敏捷な足ならすぐさま駆け登ることもできたろうと思える。

そのことがまた涙をさそう。

悔しさとやるせなさに身悶えする。


秋のトンボが私たちのまわりを飛び交う。

クミコさん来てトンボも喜んでるよ、と友人は言ってくれるが、そのトンボのあまりの数に、ここにいた子どもたちの数を重ねそうになることが怖くなる。

悲しくて怖くなる。


あ、止まった止まった。

お母さんのMさんの人差し指にトンボが止まった。ずっとそのまま止まっている。


11年経ってもまだお嬢さんを探し続けるMさん。これが親としてできる唯一のことなんです。と、毎日川辺海辺に出る。

Mさんは人差し指のトンボを愛おしそうにじっと見る。