以前。
たいそうお世話になったかたがおられる。
そのかたに書いていただいた作品で、舞台に立ったこともある。
朗読と歌を組み合わせた独得の作品たちは、多くの人のココロに届き、多くの演者がそれぞれの作品で舞台にあがった。

そのかたが、私に何回電話をかけても通じない、と人づてに聞き。
おかしいなあ、ずっと同じ電話番号なのにと、そのかたにとりあえずショートメールを出してみた。
すると。

早速電話がかかってきた。
以前となにも変わらない張りのある、お元気な声、よどむことない滑舌。
ああ、先生はなにもかわっていないと安堵するも。

「クミコさん、私、背が150センチになったのよ」とおっしゃる。
年齢的にありえることではあるが、老いや衰えと無関係にさえ思えた、そのすらりとしたお姿が浮かび、次の言葉が見つからない。
そんな私の困惑を助けるように、先生は明るく、そして変わらぬユーモアで話し続ける。

もうね、カラダがガラケー電話みたいになっちゃって、口惜しいわあ。
その言葉に、やはり笑ってしまう。
ああ、やはり先生は、あの先生のままだ。

強く美しく、ゴージャスで、先生のまわりは、いつもまさに薔薇色だった。
そんな空気をまとって、人生の機微を作品を書かれていた。
哀しくて辛いけど、なんてオカシイの、人生って、ニンゲンて。
だから、いつも舞台はすすり泣きと笑いで包まれていた。


「クミコさんもタイヘンなようね。私も35年間介護生活してたからわかるわあ」
そうだった、先生は義理のご両親と、ご主人の介護を一人でされていたのだった。
それも介護保険のない時代で、だ。

「でもねえ、そんな中だから書けたのよねえ、時間を見つけて書いてたのよねえ」
それが、きっと先生の救いだったのだろう。
「先生、わかります、私も今歌うときだけ、自分が取り戻せる気がします、救われる気がします」

そういいながら、突然涙がこみあげ、嗚咽していた。
自分でびっくりした。

先生とご一緒していた時には、わからなかったことが、今はじめてわかった。
先生には、どんな地獄が見えたことだろう。見てきたことだろう。
でも先生は、いつも明るい。
「ほら、私の名前は太陽からきてるから、明るくないとね」
そんな言葉を思い出す。

人生はツライのよねえ、だから、最後に笑いでおわる舞台がしたいの。ほのぼの、生きてて良かったわあって思える舞台にしたいの。
そんな言葉も思い出した。

どんなことも、どんな時も、笑いに変えられる先生は、健在だった。
「この間ね、薬局いったら、手みせてくださいって。だから手の平みせたら、手じゃなくて手帳だったの、お薬手帳」
薬剤師さんが、その失敗をクスリとも笑わなかったと先生が言う。

私は笑い泣きしながら。
「先生、そんな話、今書いてください。先生の今のエピソードを書いてください」
そして、それらを私が舞台に乗せ、みなさんにご覧いただきたいと切に思った。

切なく哀しい日々がある、だからこそ、うふふふと笑いたい。
泣いて笑って、生きたい。生き抜きたい。みんなで。


先生、約束ですよ、また催促しますからね。
と念押しして電話を切った。

先生、待ってます。私、ずっと。