病院デートの父親は、この三か月で変化していた。
同行してくれる職員さんの前では、いつも穏やかに寡黙で気遣いをみせているが。
私と二人になると、一気に父親を哀しみといら立ちが襲う。

これから母さんのとこに帰れるのかなあ。
母さんとどうして一緒にいられないんだろう。
もう歳なんだから時間がないと思うんだなあ。
今どこから来たんだろう。
母さんはどこにいるんだろう。
母さんの顔みて暮らしたいなあ。
もうなにもわからなくなってきちゃったなあ。

待ち時間の一時間、話はずっと同じところを回る。
母親への想いで父親は生きているのだ。
二人は「つがい」なのだ。
長い長い時間の、つがい、なのだ。


そうして。
父の膀胱がんは、再発していた。
根っこの部分は取り切れず残っているので、予想通りと言えば予想通り。
いつか、こうなる日が来るのはわかっていた。



帰って。母親と話す。
父親がまた手術入院をすれば、今と同じ状態に戻れるかどうかわからないこと。
二人の最大の楽しみの「手をつないで歩く」ことが、もしかしてできなくなるかもしれないこと。

これからの選択は多い。いや、少ない。
また選択だらけだ。

でも、涙に溺れることはしない。したくない。
そんなの悔しい。


とりあえず、今日のライブを楽しみ。
そして、父と母のことを考える。
愛する「つがい」を、ちゃんと「つがい」らしくすること。

ああ。なんたって、非力な娘なんですわ。私。