さて。
今日は、これから三か月に一度の父親の病院。
膀胱がんの定期健診だ。

思えば、去年の今ごろは、次から次へとやってくる父親の不調にホンローされていた。
それまでは、心臓系の対処が多かったのだけど、それが下半身になった。
お腹が痛い。この症状だけで、山ほどの病気が考えられる。
病名が判明し、それからの二度の入退院は、コロナ禍でもあって、けっこうシビレル状況だった。

それにしても。
治療中だった前立腺がんは、いったいどうなっちゃったんだろうと今でも思う。
膀胱がんが前立腺がんを追い出したんだろうか。
まあ、しょうがない。もういいや。
どれもこれも、カラダのことは、奥が深すぎてわからない。
そんな結論と諦めに達した。

だいたいが「生きている」そのことが、もう大きな神秘だ。
「生きている」んじゃなくて「生かされている」。そういうことなんだろう。

そして、そんな大変な状況のことを、父親がすっかり忘れてくれていることが救いだ。
車椅子にしばられるようにくくられ、生活しなければならなかった入院の辛さも、もうまったく覚えていない。
どれもこれも、覚えていない。
これが、なによりの救いだ。


今日もまた、ホームのかたに付き添われ、病院にやってくる。
いつでも病院は緊張する。
良い思い出は、当然のように無いので、緊張する。
今日の父親はどうだろう。
三か月ぶりのシャバは、どんな感じだろう。

今日が良い日でありますよう。良い日になりますよう。
そんなことを、祈ってしまう自分がいる。

さて「病院デート」、参りますか。