今度生まれかわるとしたら。
男がいい?女がいい?
というのは、よく聞く。

たいてい、現世のままの性を選ぶ。
なんたって慣れてる。
何十年もやってきてる。

以前にも、この話題を書いたことがあって、その時に私は「男」を選んだ。
大っぴらには言えないが「おちんちん」てものを持ってみたいと思ったからだった。
ただ単に、経験のないカラダを経験してみたい。それだけのことだった。


ところが。
今、そういうことじゃなく、女であるのは途方もなく大変なことのように思えた。
というのも、せんだって十二単を着てみて、その重さ動けなさを体験した。
ごく一部の階級の人たちの衣裳ではあるが、なんだって、こんなに着なきゃいけないんだろうと、単純に思った。

私が着たものは、それでもまだまだ序の口らしい。
主催の井筒さんによれば、最高の十二単は、もう座るしかできないものらしい。
高貴な女性は、動きまわことなどしないものなのだろう。
動けないほどの布にくるまれる。

(ビロウではあるけど)ニンゲンとして必要な排泄や、毎月の生理など、いったいどうしてたんだろう。
それでも、恋の歌は交わされる。
濃厚な恋の出所はいったいどういうものなのだろう。

ちょっと考えるだけで目まいがしそうだ。
どんどん重ねた衣裳の、その袖の色が、どんどん重なること、それを見せ合うことが、その頃の女性の闘いでもあったというのだから、聞いているだけで疲れてくる。
ああ、今の時代に生まれて良かった。

女性の服の不思議は、日本だけじゃない。
欧米の女性のあの、ドレスの長さ。
裾など泥だらけ。
もうあと十センチでも短かければどれだけいいだろうに。
と思うのは、今の時代だからだろう。

それに加え、お腹をぎゅうと締めつけるコルセットてのもあった。
(昔、縁あって加わった「レ・ミゼラブル」で、これを着たときくらっと倒れそうになった)
そんな姿で、女性たちは洗濯をし、馬にも乗った。
そしてもちろん恋もした。

ああ、女ってなんて大変な、いやスサマジイ生き物なんだろう。
今、この先輩たちのことを思うと、それがどこの国のどういう人であっても、尊敬の念にうたれる。

よくぞ、がんばってくれました。
長い歴史を、その苦難を越え、次へのバトンを渡し、そうして、私たちは、夏暑いといっては短パンなど履いていられる。
本当に、ありがとうございました、と思うしかない。

で、今、私、その短パンでひっくり返っている。
もう、おじさんだかおばさんだかわかりません。

ああ、もう。