ここ数年、あ、と思ったら終わっていた広島の式典。
今年は全部の式辞を聞くことができた。

子供たちの式辞は、いつも親か祖母の立場になってどきどきしてしまう。
無事言い終えることができるか、忘れやしないか。
そんなこと、ないのだ。
子供の記憶力は浜辺の砂なのだ。
すいすいとなんでも吸い込んでしまうのだ。

吸い込まないのは、詰まるのは、私だった。
それに、今年はあちこち故障だらけで、つくづくモノのアワレを感じている。


昨日のリハーサルでは、スタッフ含め、ミュージシャン全員が私より若い。
アゴの不都合をかわしながら唄っていると、時々感極まった気持ちになる。
こんな風に世代をまたいで、みんなで一つの歌を作れるなんて、まあ、なんと幸せなことだろう。

フルートとEWIというデジタル吹奏楽器を吹く坂上さんは、数年前にジストニアという病になった。
カラダの良く使う場所に発生する故障で、さまざまな方々がこれと闘っている。
歌い手なら声帯、楽器なら手指。
そして坂上さんのように唇。

沢山使う、使わざるを得ない場所が意のままに動かなくなる。
神様のいじわる、としか思えない。

その時の衝撃と口惜しさは、練習好きの坂上さんには、いかばかりだったろう。
でも、その空白時間に、フルートだけでなく新たにデジタルの楽器を極めることができた。


まあるいドーナツを思う。
まあるいドーナツは、真ん中が空白だ。
でも、その空白がないとあのドーナツにならない。

生きていると、空白が訪れる。
そんなもん訪れなくていいのに、やってくる。
それは時に心を蝕み、傷めつける。
でも、その空白には、きっと意味があるのだろう。
空白をなかったことにしないで、空白ごと歩いていく。
空白を抱え悩みながら生きていく。
すると、空白がなかった時より、ちょっと高いところが見えてきた自分がいる。


リハーサルの後、整形外科に。
血液検査の結果、私の骨には骨を壊す細胞が多いことが分かった。
カルシウムもビタミンDも足りているのに、作るより壊すほうが多い。
だから骨量が減っていく。
当たり前のことで、うんうんとうなずく。
がっかりしたけど、理にかなっているなあと感心する。


治療方法は、やはり日進月歩だった。
数年前にはなかった、骨を作るのと壊すのを減らす、この両方のできる注射ができていた。
ただ、高い。
それに一回に二本。皮下注射。
これから一年間続ける。

夜、おへその左右が痛い。
コロナワクチンより痛い。

でも、副作用が出たら終わり。
私の場合アゴの故障があるので、それが問題。
さあ、どうなるか。
よたよたと楽しみながら、やっていく。
できなくなったこと、足りなくなったことをよしとして、今の自分を楽しんでいく。

私もドーナツだな。
あ、ドーナツ食べたくなった。