父親の94回目の誕生日。
ホームに母親を連れていく。

玄関に着くと、すでに父親がいて、母親を両手を広げ招き入れる。
なんだか感動的ではあるが、きほん、毎回感動的なので、もはやなんだかわからん。

父親が困ったように「モテちゃってなあ」と言う。
前にもこういうことがあって、職員さんに聞くと、後から入ってきた認知症のある女性が、どうも父親をご主人だとおもっているらしい。
父親を「お父さん、お父さん」と呼び、なにくれと世話をしたがるらしい。

で。良い時は良いが、それがとてもうっとおしくなると、父親が怒るというのだ。
「なんであんたにそんなこといわれなきゃいけないんだ」

そして。昨日も。
午前中に訪ねてきた、その女性の家族。
よくできた息子さんがいらっしゃるらしいが、女性が父親に「息子が来るわよ」
「僕には息子なんかいない、娘だ」
と、モメタようなのだ。

こういうことが多々あって、職員さんたちも、二人を離すようにするのだけど、なかなかムズカシイらしく困っている。

「僕の奥さんは、静かな控えめな人だ」とか言って、父親はその女性をけん制するらしいが、私の母親が、静かで控えめとはとうてい思えず、これもなんだかオカシイ。
いや、オカシイと言っていてはいけないだろうが、その相手の女性を責める気持ちにもなれない。
きっと、そのかたは、なくなったご主人の世話をもっともっとしたかったのだろうなあと気の毒に思うだけだ。


ところが母親が。
シャワーを浴びた後、脱衣所で何かしら言っている。
つぶやいている。
「え、なに?」と聞くと。
「あ、ううん、なんでもないなんでもない」とあわてる。

その後、母親の足のマッサージなどしてると。
「ジェラシーよね」とぽつんと。
ジェラシー。
しばらくぶりに聞く言葉。

「なんかいやなのよねえ、そういうの。いやになっちゃうわよねえ、こんなの」
自分で持て余す感情。
これってすごくわかる。

人はいくつになっても、こういう感情が湧き出るのだなあ。すごいなあ。と感心し感動する。
94才のジェラシー。

94才でもドラマは生まれる。
そう思ってしばらくは、見守るしかない。

いやはや。