母親の毎朝の牛乳を買いに自転車を出す。
すると、道の角を警察の小さな広報車が。
ナニヤラに気をつけてくださいといういつも通りの広報車。

ところが、コチラがバランスを崩した。
やはり、足指が元通りではないので、うまく力がはいっていないのだった。
こてんと自転車はひっくり返り、またもや足の痛みで、呆然と立ち尽くす。

そのそばを、広報車が通り、窓から心配そうな警察の人が顔を出す。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です」
私の顔はおそらく硬直している。

アチラにとっては、勝手にひっくり返って勝手に立ち尽くしているおばちゃんである。


それから、またしても保冷剤の出番。
小さなそれらを、あったまったら替えるの繰り返し。
よくもこんなに保冷剤あるなあ、と感心しつつ、それに助けられる。

足も手も、だてに指が10本あるわけではない。
それらのどの一本も、ちゃんと役割がある。
そのことを、損なうたび傷つくたびに気づく。
と、同時に、何かしらの障がいのある方々を思う。
こんな足指一つで、なんのかんの言ってられないと思う。


なんのかんのいいたくなるのは、公的な通知だ。
老親二人宛てに届く様々なものを開封するだけで気がめいる。
昨日は、介護保険がどうしたこうした、払い込み方法が変わってどうしたこうしたで、訳が分からん状態。
だいたい、今年が令和4年かどうかさえ、わからん。
私にとっては2022年だ。

この年号記述、いいかげんやめてほしい。
やめなくても同時表記してほしい。
令和だけなんて、わざと混乱させようとしているとしか思えない。

日本独特の年号は、美しい。
でも、それはそれ。
ついでにいうと、印鑑も美しい。
でも、それはそれ。

私のような劣化一直線のアタマには、もう元号と西暦変換なんて無理ですわ。
ただでさえ、いろんなことに往生しているのです。
ヘルプミー、であります。