絹糸のような あの粉糠雨(こぬかあめ)に
二人は濡れて 歩いた並木

「パリ祭」の最後に、この「パリ祭」の歌を出場者全員で唄う。
ゆっくりとしたワルツを唄い終えると、4ビートでテンポアップしたバンドバージョンに変わる。
この瞬間が、ものすごく好きだ。

ああ、これで今年の「パリ祭」が終わったと感無量になる。
昨日もまたそうだった。
本当はもう一日あるのだけど、私はこれで終了。
大したこともせず、ただ一曲唄うだけなのに、終わるとホッとする。
大切な荷物を降ろしたような気持ちになる。


今年で「銀巴里」で唄いはじめて40年。
どうでしたかこの40年と、取材などで聞かれるたび。
「失礼なニンゲンでも、更生できたような40年でした」と答える。
それほどシャンソンのこと、シャンソン界のことを知らずに入った「銀巴里」。

越路吹雪さんの歌しか知らない私は、越路吹雪の歌を唄ってる新人まで入ってきた、と陰口をきかれたらしい。
それほど、シャンソンにはいろんな歌たちがあって、それは入ってから知った。
(だからといって、いまだにシャンソン歌手といいきれない。ずっとナンチャッテシャンソン歌手だ)

この40年の間に、永六輔さん(あ、今日命日だ)や、松本隆さんといったレジェンドと関わり、いろんなことを学んだ。
わかったのは、ただ一つ。
私などナニモノでもないということ。

美しくもなく、歌が途方に上手いわけでもなく、特別な魅力など何もない。
ほんとにナニモノでもないのだった。

そのことを知り、それから唄うコワさを知り、生きていくことの深さも知った気がする。
唄っていてもいなくても、人生は過ぎていく。
それは客席のお客さま一人一人と同じ。
たまたま、こちらの歌をそちらで聞いていただいている。
そして、そこで魂の交換をする。

そうだなあ、この「魂の交換」という言葉が一番しっくりくるなあ。
お客さまのいない空間で唄うと、歌はただ空間に飛んでいくだけだ。
お客さまがいると、歌には翼が生える。
そこに届けと翼が生える。
歌の翼は、魂の交換を導いてくれる。
交換は交歓でもある。


弾んだ4ビートの「パリ祭」のメロディーに合わせ、私のカラダも弾んだ。
一緒に今を生きていますね、生きていきましょうね、とカラダもココロも弾んだ。

この後、名古屋と岡山でのパリ祭に出演します。
幸せなことだなあ。
皆さまに、感謝です。