ちょっと早く夕食を用意して、母親と食す。
「おじいちゃんがお米作ってたのよ」
「え、どこに」
「千波湖の向こう」

水戸の偕楽園の下にあった母親の家から、千波湖まで歩いて行ったという。
そこで、おじいちゃんはコメ作りをしたという。
これは初耳で、いまだにこんな初耳のことがあるのだなあと驚く。

で。母親がおじいちゃんと一緒に田んぼに行くと、すぐに空襲警報。
空から襲ってくる敵機から身を隠す。
「こわかったわねえ」

そりゃあそうだ。
「でも、グラマンに追いかけられた時は、もうダメかと思った」
グラマンがどういうものか、よくわからないが、その響きからもデカい戦闘機の気がする。
その二機に、追いかけられた母親は、偕楽園の神社に逃げ込んだが、おそらく、向うは半分からかい楽しんでいたのではないかと思う。
そうしているうちに、殺してしまうことも多々あったに違いない。

人を殺せる武器を持った、兵器に乗った人は、きっと自分が神様か、あるいは悪魔にでもなった気持ちになるだろう。
自分の気持ちひとつで、目の前の一人を生かすも殺すもできるのだから。


またツダくんの話が出た。
ツダくんは、母親の同級生。
話したこともないが、いつも線路を歩いて水戸駅に通っていた少年らしい。

ツダくんは、いつも口笛を吹いて歩く。
「峠のわが家」だ。
アメリカで生まれた、故郷を懐かしむ歌。
ルーズベルト大統領の愛唱歌でもあったという。

「顔は忘れちゃったけど、あの口笛は思い出すのよねえ」
ツダくんは、どうやら「峠のわが家」だけしか吹いていなかったようだ。
そして、この敵国の美しい歌を愛したツダくんは、7月の大空襲で死んでしまった。

一学年四組。
私の父親は一組、ツダくんは二組、そして母親は三組。
今は、水戸の芸術館になった場所にあった小学校に、たしかに少年少女は生きていた。
みんな生きていた。

私の両親は94才になるけど、ツダくんは少年のままだ。