戦争のことをニュースにしても視聴率が取れない。
だから、みんなもう興味がなくなってしまったのだ。
という論調がある。

いや、そうじゃない。
つらくて見られないのだ。
いたたまれなくてどうしようもなくなるのだ。


今ある自分たちの生活が、戦争とはまったく関係のないものではなく、いつなんどき同じことが起きるかもしれない。
このヒトゴトではない戦争のリアルさを、初めて知ったのは、北海道の友人と話していた時だった。
ずいぶんと前のことだが、北海道の、それも北のほうならなおさら、いつなんどきソ連が攻めてくるかもしれないと北海道人なら皆思ってるよと、その友人はいうのだった。

そのソ連、今のロシア。
この国の人たちもまた、どこかから攻めてこられると、いつも思っている人たちらしい。
フランスやドイツやらと攻め込まれた歴史から、被害者意識が高いという。
私たちからすると、まったく真逆。

「まったくあの国は、日本が負けそうになったら、条約破って北方領土をかっさらっていった酷い国」と、子供の頃どれだけ聞かされたことか。
「もともとそういう国なのよ、だいっきらい」と今回の戦争でも、母親は怒り心頭だ。


攻め込まれるかもしれないから、攻めてしまおう。
こんな論理があるのかないのか。
もう、アタマが混乱してくる。
確かなのは、戦争には本当は、加害者も被害者もないってことだ。
まわり回って、巡り巡って、恨みは引き継がれる。
悲しみが恨みに変わり、それは消えることなく再生産される。
戦争には首もシッポもない。
どの戦争もみんなつながっている。

ニンゲンてのは、そういうものなのだよ、だから戦争はなくならない、という人もいる。
でも、それを承知したうえで、なんとか歯止めをかけようとしていたはず。
(無力な国連とか)


脚の悪い老女が、杖をついて懸命に逃げようとしている映像に、自分の母親が重なる。
母親なら、もう逃げられないなあと思う。
胸が痛くなる。
理不尽への怒りで平常でいられなくなる。

ああ、だから、ニュースを見られなくなったのだ。
こういう人は、きっとたくさんいるはず。

お願い。戦争に視聴率を持ち出さないで。