パリ祭のバンドリハーサルに行くと。
プロデューサーのクボタさんが、座っている私に近づき。
「どうですか、お父さんお母さん」と尋ねる。
そうして「うちはお袋がねえ」と言う。
それから「Fのとこもねえ」と、知り合いでやはり出演者のかたのことも。

みんなそういう歳なのだった。
いつのまにか、誰もが老人を抱える歳になっていた。
パリだ、シャンソンだといっているうちに、みんな歳をとった。
やっぱり人生は愛と恋と自由だよね、なんてみんな風船のように一杯の想いを抱えて生きてきたけど、どんな人にも月日は流れる。


今あるのかどうかわからないが、昔、池袋に「キンカ堂」という生地屋さんがあった。
多くの女性たちが出かけ、そこで布やボタンを買った。
そして、自分で服を縫った。
私も、母親に連れられよく通ったものだ。

そこの紙袋があって。
全体がどういうものだったかは忘れたが、たしか横っちょあたりになんだか横文字で詩のようなものが書かれていて、その対訳もついていた。
アポリネールという人の名前と堀口大学という人の名前が並んでいる。
「ミラボー橋」、それがこの詩の名前だった。
 
ある時、初めて、まじまじとその詩を読んだ。
「ミラボー橋の下をセーヌが流れ」で始まり「月日は流れ 私は残る」で終わるこの詩。
なんだかよくわからんが、わからんなりに奥が深そうに思えた。
そして、人生つうのは、どうも大変そうなものであるようだ。と小学生の子供は思った。

それから、なるほどこういうことねえ。と今頃やっとわかった。
しみじみわかった。ような気がした。
いやいや、これからもっともっとわかるに違いない。
わかったと思った瞬間にこの世から消えるのかもしれない。
そりゃあ、わからん。それも、わからん。


でも、まあ、いいさ、生きるっていうのは川の流れ。
日本の「方丈記」だって、同じようなこと言ってるし。
ニンゲンは洋の東西、時代を問わず、みんなおんなじこと思って生きていくもんなんだなあ。

そう思ったら、気が楽になる。
川の流れの、その中の一滴を一生懸命に生きる。
これって、なかなか素敵なことじゃないか。