ケアマネさんには、苦労した。
もともと介護保険を使う必要も少ない老親二人だった。
それでも、こんなに毎月保険料を払っているなら、何かしらしてもらったほうがいいのでは、と思ったのは数年前のこと。

訪問診療のクリニックから紹介された事業所から、若いケアマネさんがやってきた。
会った瞬間、あ、この人アカンなと思った。
でも、いやいや、その先入観こそアカンのだと自戒し、相談などをしてみた。

でも、結局のところ、やはりアカンのだった。
宅食弁当も飽きるので、夜の食事作りをお願いしてもみたが、派遣された女性と事業者の間で、時間のソゴまであった。
女性は一時間と聞いていたらしいし、事業者は一時間半と思っていた。
結局、一時間半分の料金を払ったが、豚肉炒めと冷蔵庫にあったエノキを煮たものに、それこそ豪華な松花堂弁当代くらい払った。
それで食器洗いなど後片付けはないので、これじゃあまったく役に立たない。

どんなサービスも時間ごと。
それが決まりだけど、困ったのがサイン。
何か一つ頼むたびに、分厚い承諾書にサインせねばならない。
この人は、サインだけさせに来てるんじゃないか。サインさせるのが仕事だと思ってるんじゃないか。


やはり事業所にも良し悪しがあるのだと知った。
それですっかりコリて、ケアマネさんとは縁がなくなった。
それでも、去年の父親の体調悪化で、どうにもならなくなり、地域センターから紹介されたケアマネさんがやってきた。
その人は、前の人のようなサインオバサンではなかったが、あまりに忙しいせいか、親身度がない。
ばさりと、老人施設の資料など置いていって、応募するのが良いといい帰っていく。


何もかも初めてで、そんなこんなで怒涛の昨年だったが、今のホームに入るきっかけがホームにいるケアマネさんだった。
応接室で色々な説明を聞き、最後に玄関でこの女性が現れ挨拶をされた。
その瞬間、あ、この人だと思った。
この人のいるここに決めよう。


それはまったくの正解だった。
今も、この方に支えられている。
あと二年で定年ですからと言うので、なんとか延長してくださいとお願いしてしまう。
(父親はもっと長生きすると思っているムスメだ)

昨日、部屋に戻る父親を見送ったあと二人で立ち話をする。
「クミコさんは、三日に一回ほど来てくださるけれど、それがたとえ一週間になっても、お父さまはきっとお分かりにならないと思います。でも、来てくださったその一瞬一瞬が歓びなんです」

ドキュメント72時間のテーマソングの歌詞のように、父親には「一瞬しかない」。
「私たちは、その一瞬一瞬を大切にして差し上げたいなあと思うんです」

一瞬、一瞬。
そうだ、一瞬なのだ。
胸がじんと熱くなる。

そして。
このケアマネさんと出会えたことに、感謝した。
人生の一瞬の旅には、良い添乗員が必要なのだと思った。
そして、家族もまたその一瞬の旅に同行しているのだった。