盛岡には「北ホテル」というホテルがある。
古いフランス映画と同名で、昔はここが定宿だった。

その頃は、盛岡にもジァンジァンがあって、デパートの上のほうのスペースで様々なライブをしていた。
盛岡の翌日には青森で、というように、東北にも、渋谷ジァンジァンの仲間があったのだ。
(ちなみに、金沢や沖縄にも)

その時のスタッフのかたが、昨日のコンサートにみえた。
正確には、お手紙をいただいた。
美しくきちんとした字で書かれた封筒には、写真が二枚。
一枚は、その方の映ったもの、もう一枚が若い私。

ああ、このかただ、このかただ、と記憶が時空を跳び越える。
30年前の熱い空気が蘇る。
「本日は客席の片隅で静かに聴かせていただきます」の手紙通り、その方とお会いすることはできなかった。


北ホテルの近くの大きな会場には、たくさんのお客さま。
岩手日報さん主催のこのコンサートは、コロナで二回延期されていた。
それでもお誘いいただき実現できたもので、半﨑美子さんをゲストに、ただそこに歌がある歌い手がいる、というシンプルだけど奥深いものになったと思う。

それも、会場に来てくださった皆さまのお心のおかげ。
今、この波乱に満ちた時代を共に生きる者同士の、ココロのツナガリで出来上がったコンサートのような気がした。


私は、このところどうもカラダの奥に大きな岩を飲み込んでしまったような、すっきりしない体調ではあったけれど、半﨑さんの笑顔にも助けられ、なんとか終えることができた。
またぜひご一緒したいなあと思った。


この日の最後の歌は「愛しかない時」。
愛に何ができる、愛ってなんだ、というこの歌は、今月15日から配信が始まる。
CDは8月になる予定だが、まさか、初めてシャンソンに自分の詞をつけたものが、40年経ってシングルとして世に出るとは思ってもいなかった。
唄うと苦しい。
苦しいけど唄う。
それが私の選んだ歌い手としての生き方だから。

時代や社会と関わる歌が唄いたい、と思って入った歌の道なのだ。
原爆のことや大地震や、そして戦争や。
まさか、こんなに深くかかわることになろうとは思ってもいなかったけれど、今思えば、どれもこれも、避けようがなかったのだ。

でも、だからこそ、夢のある歌、恋の歌が唄えるのだと思う。
花のような歌は、きっと泥のような思いの中から生まれるのだろうと思う。思いたい。


「北ホテル」の近くを車が通った。
営業してるのかしてないのか。
すっかり様変わりしている。
范文雀さんという美しい女優さんをロビーで見かけた日が、遠い昔の映画のワンシーンのように蘇った。