今日はけっこう歩いたなあ、と思いつつ寝た。
テレビを消す前、ちょうど「ニュースステーション」で大越キャスターのメッセージが流れた。

その前の速報で、ウクライナ東部マリウポリの製鉄所から152人の兵士の遺体が見つかったと。
戦争が続くことで、こうしてたくさんの命が消える。
命は数ではなく、そのひとつひとつにその人の人生があるのですと、大越さんの悲痛な顔が映る。


この製鉄所には、それこそ命知らずのアゾフ大隊がいて、それをロシアではネオナチなどと言っているけど、この人たちがどうなっているのか、ずっと気になっていた。
先だって投降した兵士たちの姿が、そのアゾフ大隊とは思えなかった。

降伏しても命はない。
前にも後ろにも進めない。
そんな人たちのことが、浮かんでは消え、また浮かぶ。

寝ていると、ハッと目が覚めた。
疲れた足の痛みで起きたはずが、すぐに兵隊さんのことを思い出す。
地下で死んでいかねばならなかった兵士のことを思う。

起きて、脚をマッサージする。
ボルタレンを塗る。
そしてまた寝床に戻る。
私はこんな平和の中にいる。


昔。
沖縄に行った時。
司令室のある地下壕に入った。
狭い狭い地下壕の一つの部屋が寝室なのだと聞いた。
兵隊さんは、みんな立って寝るから、この狭さでいいのだと。
ぎゅうぎゅう詰めで、イワシの燻製の束のような兵隊さんの姿と息が見えた気がして、立ちすくんだ。
汗と泥と血の匂いが立ち上るようだった。

本や映像で見ていた戦争が、一気にそばにやってきた。
その時の衝撃が、ココロの扉の奥にあって、時々ぎいと開く。
おそろしさに震える、どきどきする。


21世紀には、戦争なんて非効率的なものは起きえません。
こういう話はいくらでも聞いていた。
行き場のなくなったウクライナの小麦は、朽ちていく。
どれだけの人が待ち焦がれても、届かない。

たった一人の狂人は、世界の理想や愛を、そして多くの命を壊していく。


あ、いかんいかん、これから盛岡。
大好きな街で、大好きな半崎美子さんとのコンサート。
半崎さんのお顔を見て、浄化されたい、落ち着きたい私です。