ジャケット写真の撮影に行く。
こんな早朝は初めてだが、陽の光との関係と、私の家事情の関係も汲んでくれてのスケジュール。

今回は、いわゆるハウス式のスタジオで、街中や住宅街にあったりするもの。
以前一回お世話になったこのスタジオは、内装がちょっと変わっていたものの、基本同じ。
外光がまぶしい。

この「まぶしい」のが、目の弱いニンゲンにはこたえる。
目から疲れてくる。
自然光で強くいられるのは、若さだろう。
その若さがなく、しかももともと目の性能が弱く、最近ではいろんな弊害も出てきた者としては、もう初めからファイトの気持ちがない。

以前はこうありたい、こう写されたい、と意思を持って挑んだのに、なんなんだこの有り様は。
「もう、前のでいいんじゃない、アーシャ(宣材写真、アーティスト写真)は」
などと発言しては、ディレクターのタナカさんを慌てさせてしまう。


いかんだろうなあ、こんなんじゃ、と思う気持ちと、いや、こんなんでいいんだろうと思う気持ちと。
もう時の流れに身を任せよう。と思う。

確実に歳を重ね、あちこちが衰えてきたわが身には、武器がない。
あるとすれば、歌だけだ。
若い日には歌えなかった歌もある。


今回うれしかったのは、スタイリストの女性が高校の後輩だったことだ。
十年ほどまえに、その高校で設立百周年イベントに招かれ、全校生徒の前で歌を唄った。
「あの時、私客席にいました」

そうかと思うと、児童養護施設で音楽活動のボランティアをしている音楽関係者から、その中の子供がクミコさんの後輩になりました、とメールをいただいた。
将来医師を目指しているそうです、とのメッセージに、会ったこともないのに、後輩たちの強い目を見たような気になった。

若者たちはこうして、みんな生きている。
強くたくましく生きている。

ちょっと触らせてもらった手や腕は、内側からのチカラに満ちて弾んでいる。
ああ、これが若さだなあ。
肉体の若さは、もう二度と戻らない。

もう私は私の時間を生きよう。
抗うことなく、ちゃんと時と一緒に生きていこう。
若さにへつらうことなく、媚びることなく、しっかりと老いを生きよう。

老いを味方に。
これがきっと、これからの大切な指針になる。と思えた。