柏餅を買う。
今年はこれで二度目。

だいたいが団子系のもちもちした和菓子が好きで。
ヨモギ餅にくるまれたつぶあんを食していると、なんとも幸せだ。

近くの商店街は二つある、高円寺と阿佐ヶ谷。
高円寺の和菓子屋には、もう絶滅感がある。
古着屋は増えても、和菓子屋は失せる。

それに反して阿佐ヶ谷は、和菓子屋が健在。
中で食べられる店も入れると、相当数になる。
たった一駅でこれだけ違う。

その阿佐ヶ谷の古くからある店で、柏餅を買う。
昔はこの店の二階が喫茶室になっていたが、今は階段にも何かしらの荷物が置いてあって封鎖状態。
あまりに古くなって、危険感が漂う。
古くなったのは、作り手もそうで。
昨日は娘さんが店番をしていたが、時々はおじいさんがいる。
腰が曲がったおじいさんの手を煩わせるのが、買う身にも申し訳なくて、いつもはらはらと見守る。

この娘さんも、そうとうに疲れているのだろうと思う。
自分が疲れていると、人の疲れに親しくなる。すぐわかる。
私の前に並んだ人が、けっこうな量を買っていたが、それを包むのも、計算するのも、難儀なことだなあとわかる。
間違えないよう、ひたすらこらえてこらえて淡々と粛々と。
その動きを見ながら、家族でする生業の過酷を思う。
いつまでできるのか、いつ閉じるのか、そんな店の歴史や迷いを感じる。

この店は、粟餅やひえ餅や豆餅などの、今どきは珍しい昔ながらの「のしもち」を売っている。
これだけの量をきちんと作るのは、大変なことで、これがここの誇りでもあることがわかる。
ただの和菓子屋ではない、日本の食文化を売っているのだ。

ここに寄ると、いつもこうしていろんなことを思う。
そしていつも心配になる。
ちょっとずつ、食感や味の変化も感じていて、心配になる。


母親に味噌あん、私はつぶあん、この二つを買って帰ったが、食べてみると、こしあんだった。
また心配がつのった。
まだまだ頑張って続けてほしい、という思いと、ダイジョウブかなあという思いと。

一軒の和菓子屋さんと、私の来し方がリンクする。
同じではいられない。
同じままであることはできない。

切ない柏餅を食べた。