大河ドラマの時代劇はどうも苦手ではあった。
名前が覚えられないのだった。
姓が同じで、名前が似ている。
それは、私のアタマでは、もっとも苦手なこと。

でも、ドラマだと役者さんがいるので、その顔で判別する。
今の「鎌倉殿の13人」もそうして、かろうじて見ている。

特に、主役の小栗さんが、とても丁寧に感情をなぞる演技をされるので、こちらも感情移入しやすい。
こういうドラマは、もう役者さん次第だなあと思える。
歴史上の人物を生かすも殺すも、それこそ、リアルにその人が生きていたと思えるかどうか、それは役者さんの力量にかかっている。


それにしても、本当に人が理不尽に殺されていく。
忠義を尽くしたように思えても、権力者の思惑一つで、虫けらのように殺される。
鎌倉時代というと、なんだかもっと理性的なイメージがあったが、まったく間違いだった。

昔の大河ドラマで「源義経」というのがあって、主役は歌舞伎の尾上菊之助(今の菊五郎)さんだった。
先だってまでやっていた朝ドラの菊之助さんのお父さんだが、まったく瓜二つ。
頼朝が芥川比呂志さん。これが素晴らしくて、子供の私でさえ夢中になった。
知的で冷酷。頼朝は今でもこの方の顔が浮かぶ。


この「源義経」と、その前の「太閤記」あたりは、テーマミュージックにも夢中になった。
これを聞くたびにじいんとして、目をつぶった。
録音できないので、土曜の再放送も見た、聴いた。
これが音楽の感動、最初の経験だ。


ともあれ。
こうした、人がばんばん意味なく殺されていくシーンを見ていると、こんな時代にも、どこかで自分の祖先がいたのだと胸が熱くなる。
これはどの時代劇をみていても思うことで、どこかのそれこそ「世界の片隅で」一生懸命生きてくれたから、今私がここにいるのだなあ、奇跡のようだなあと思う。

そして、その血を私自身が次世代に残せなかったことも思う。
いっときは、そのことにガクゼンとしたが、今はまあいいんじゃないと思う。

それぞれがそれぞれの時代を一生懸命生きる。
歴史は一人一人。
一人一人が大河ドラマだ。