まだ外が明るくなっていない時間に目が覚めた。
それまでの、もやもやとしたココロが、はっきりと一つの映像を映した。

それは、ウクライナのマリウポリの兵士。
野戦病院と化した地下で「もうここには食料も水もありません」
暗い地下で、すっかりやつれたその兵士は、世界に向けてそう発信している。
そのニュース映像を、前日に見ていた。

悪魔プーチンの思惑通り、子供や女性もいる地下壕には、光も食べるものもない。
人道回廊などという、戦争になにが人道なのだという思いは持ちながらも、小さな望みは持っていた。
ほんとに小さな小さな望みだけど、もしかして。

国連の総長だって来た。
何とかしようとして来た。
でも、なんともならない。
国連ってなんだ。と、寝床で悶々とする。
悔しくて悔しくて、身もだえる。


先だって、今年初めのマリウポリの映像を見た。
2022年ようこそ、という新年に向けての、喜びの映像だった。
街中にネオンが輝き、どの人の顔も光に包まれている。
子供も若者も恋人たちも老人も。
みんなが新しい年に希望を膨らませている。

光。光。光。
その黄金色の光を、寝床で思い出していた。
今、私がこんなとこで悶々としててもしょうがないんだ、それよりもう少し寝なくちゃと思っても、その光が私を照らす。
寝るなとでもいうように照らす。

つらくなるからウクライナのニュースは見ない。
そう思っても、夢に出てくる。


ゴールデンウィーク。
黄金週間。
光はどこにでもあるのに、私は取り残されている。
その気持ちは、ずっと続いている。

ウクライナの友人ビーちゃんは、家族を避難させた西部とキーウを往復しているらしい。
日本のメディアを案内する仕事で現金を得るしかない。
戦争が終わったら、また会おう。
会ってハグしよう。
そんな約束の灯は、ずっと消えない。