このところ。
父親のホームには、母親も連れていく。
「行く?」と尋ねると「行く」と言う。
嬉しそうに言う。

本当は、自転車でささと行って、父親と二人だけの時間のあと、帰りにおでんを買ってまたささと帰る。
時には涙を流しながら、時には、爽やかな気持ちと一緒に。
そのほうがスムーズだった。
娘としての感情は、私の胸の中で処理できた。


それが、ここのところ、母親が行きたがる。
寒さのあと、蘇るように息を吹き返したのは、植物だけではなく、母親もまたそうだった。
会いたいという思いが、誰にはばかることなく全開している。

ちょっと前には、父親の顔に生気がなく、それを感じた母親が、もう死んじゃうんじゃないかと怖れた。
怖れて、たくさん会いにいかなくちゃと思ったのだ。
でも、そうではなかった。
老人の、心を含めた体調は、日ごと変わる。
それは、ここ数カ月で学んだことだ。


そして、父親のような認知症の場合は、どんなこともすぐ忘れてしまう。
イヤなこともうれしいことも。
外出許可をもらって自宅に帰っても、ホームに戻って数時間後には忘れてしまう。
あんなに喜んでいたのに。

でもそれでいい。
父親と母親が、二人で椅子をならべ手を取り合って座る。
その姿に「まあ、まるで一枚の絵みたいですねえ」と職員さんが感動してくれる。
娘は、でも、いつもフクザツな思いでいる。
これからどうなるんだろう。


「お父さまにはすべてが一瞬一瞬なんです。だから、うれしいという思いをたくさんして差しあげてください」
と信頼できるケアマネさんが言う。
すぐに忘れるけど、一瞬を大切にする。
この矛盾のような話に、深くうなずく。
なんだかわからんけど、深くうなずく。


残り時間。
それがどのくらいかはわからない。
でも、できる限り二人を会わせてあげようと思った。
すっかり背中の曲がった母親と、タクシーで行って帰ることを、できうる限りしよう。
すべてが一瞬だとしても。

そんなことは、もう、どうでもいいや。