歌い手の悪夢。
それはたいてい似ていると思う。
舞台に出ようとするのに、なぜかじゃまされる。
もう出番なのに着かない。
譜面がない。
衣裳がない。
化粧もしていない。
歌詞が出てこない。

今朝がた見た夢は、まったくそんな悪夢で、どんぶりでいったら「全部乗せ」の状態。
歌い手悪夢全部乗せ。


舞台は1990年に閉店した「銀巴里」で、すでに二人前の人が唄っている。
なのに、私と来たら、ホテルらしき楽屋で化粧も、衣裳も、楽譜も、ない。
バンド四人に渡す楽譜も、ない。
それに、どの歌も実体が、ない。
いったい私は何を唄えるのか、唄ってきたのか、まったくわからない。
そこらへんに舞うホコリかチリのように、私の歌はどこかに飛んで消えてしまった。


目覚めた時、こりゃあ歯ぎしりでアゴが大変なことになってると恐る恐る動かしたら、驚くほど痛くなかった。
そうだった、昨日、私はレコーディングをしていたのだった。
その前日に、治療をしていただき、なんとかセーフ。

その歌が「銀巴里」で唄っていた歌だった。
唄い出してどうやら40年になるらしく、今年は、この歌ともう一曲を録音した。
この時代、いつまでこうしたことができるかわからない。
いつも、これで終わりだと思っている。

これが最後か、これが最後か。
今回も、また。

まあ、いつ最後でもかまわない。
ただ、これから先は、したくないことをしたくない。
唄いたい歌とだけ関わって生きていきたい。

そんなこと、よく言うわ。
と、私の半分が言う。
そんなの、歌い手じゃないわ。

こうして、またせめぎ合う。
まあ、どっちにしても、もう少しのこと。
そう思えば、心持ちがゆるりとします。

しかし。
「歌い手悪夢全部乗せ」は、やばい。
以前、とんこつラーメン全部乗せを、その実体を知らずに注文し、大量のキクラゲにモンゼツしたことを思いだしました。