庭の植木鉢。
大小合わせて、40鉢近くあった。
そんななら、地植えにしたほうがいいと思うも、そんなことしたらそりゃあ手入れが大変だと聞いた。

前の家は地植えで、今の家に引っ越す時、手放したくないあれこれを両親は鉢にして、それを運んだ。
それらは、年毎に、大きくなり、植木鉢を大きい物に変えると、さらに大きくなる。

植物がそういうものだと知った。
器に合わせて大きくなる。

それはとめどないのだった。
水槽にいるデカい金魚と同じに、はじめは小さかったと聞いても信じられない。
こりゃ、フナだ。
金魚とてとめどない。


最近は、その植木鉢を覗き込み、手入れをする。
水やりのほかに、雑草をとる。
ところが、雑草を抜こうと思っても、それはほんとに「雑草」なのかわからなくなる。
本家の植物の脇や根元に、するすると育つそれらは、時に可憐な花を咲かせている。
手が止まる。
雑草ってなんだ。
雑草って、邪魔ものなのか。
雑草は生きてちゃいかんのか。
じゃあ、お前は雑草じゃないのかと、ついに自問自答するはめになる。
植木の手入れで、こんなに汲々とした気持ちになる。

えらいこっちゃ。
こんなに、すべてに余裕がない。

あんまり余裕がなくて、寝ていても目が覚める。
クスリをのんでも目が覚める。
起きるとアゴあたりが痛む。
無意識下で、必死になにかと闘っていたことがわかる。


母親には、ぜったい金輪際怒らないと決めた。
最近、決めた。
どんなに理不尽でも、どんなにむかついても、ぜったい怒らないと決めた。
あ、と胸がざわつけば、すぐその気持ちを消火する。
火種は消す。
じゃないと自分に際限がない気がした。

植木や金魚と同じで、自分のナサケナサも際限がない。
でも、これで私だって、したたかに、力強く生きられるかもしれない。
雑草のように。

と、ちょっと希望を持ってみる。