親の家の庭には、よく鳥が来る。
近くに神社があるせいかもしれない。

この頃、庭に麦を撒く。
その前は、節分の豆。
ちょうど余ったのを、寒い時期ということもあって、鳥たちも食べたかろと撒いてみた。
すると、知らぬ間になくなっていた。
食べたのだ。

撒く、なくなる。
撒く、なくなる。
そのキャッチボール感が、父親のいなくなった家にはなんだかうれしく。
私が忘れても、母親が撒く。

いったい、どの鳥が食べてんだろ。
スズメかカラスか、最近みかけるハチドリに似たやつか。

ふうううふうううう。
電線で鳥が鳴く。
キジバトだ。

うちではキジバトちゃんと呼ぶ。
キジバトちゃんは、たいてい一羽で、よたよた歩く。
カラダのバランスが悪いので、電線に止まっていても、はらはらするが、これまでキジバトの落っこちた話は聞かない。
そのキジバトちゃん。
ふううふううとどこかで鳴いているので、麦を撒いた。
もしかしてお腹が空いているのかもしれない。


そうして時間が経ち。
そんなことを忘れて、玄関を開けようとすると。
ガラス越しに何かが見える。
キジバトちゃんだ。
キジバトちゃんが、不器用に麦を食べ、それからよたよた歩いて帰っていく。
飛んでいったのではない、歩いて出て行ったのだ。
はい、おごちそうさまでした、といわんばかりの後ろ姿。


なんだか幸せな気持ちになる。
母親と二人で、幸せな気持ちになる。
こうして、父親のいなくなった空間とココロを埋める。

鳥たちに助けらている。
他の生き物に慰められている。
もちつもたれつ。
この世の生き物どうし、懸命に生きる。


今朝は、私の部屋の外で、野良猫ボスの声。
ほええほええと、れいの「さかり」の声。
下を見ると、それまでそこにいたメスの茶トラの匂いを追っている。
ナサケナイほどの、慕い方。

ああ、ここにも春。
みんな懸命に生きてる。
良かったなあ、みんなで生きてる。
こんなに、みんな、生きてる。