じいさんが言い出して、若者が死ぬ。それが戦争。
そんなことを永さんが言っていた。

うまいことをいうなあ。
さすが永さんだなあ。
と、感心するが、ほんとそうだ。

自分は戦場で戦わない、殺し合いをしない、そんな人が、若者を戦場に送る。
ウクライナでどのくらいの人が死んだか、そのことももちろんだが、ロシアの兵隊さんもまたどのくらい死んだのか。
それを思うと、あまりのやるせなさ、理不尽に、叫びたくなる。

そして、太平洋戦争で死んだ多くの若者たちにあった未来のことを思う。
どこの家庭でも一人か二人が、仏壇の遺影となって家族を見ている。
あの子がいれば、と泣いた家族ばかりで、その家の運命をも変えた。
インパールで、たった一人の跡取り息子をなくした母の実家では、養子にはいった男が破天荒な遊び人で、とうとう家は傾いてしまったが、そんな話は、きっとごまんとあるのだろう。


父がときどきキクチくんという。
キクチくんは、父が入った今の茨城大学工学部の学生寮での同級生。
入所したその日の夕食のテーブルで、斜め前だかにいて食事をしていた。
名札に「キクチ」。

だからまだ友だちでもなんでもない。これから友だちになるはずだった友だち。
そのキクチくんは、その夜の艦砲射撃で死んでしまった。
父は偏平足が幸いして、坂の上にのぼれず、そのおかげで助かった。
身軽に上り逃げていくキクチくんが弾にあたってしまったのだった。

そのキクチくんのことを、父は時々口にする。
これから友だちになるはずだったキクチくんのことを、ずっと忘れていない。(今でもだ)
きっとキクチくんの未来ごと、父は抱え込んでしまったのだろうなあと思う。
自分にはあった未来をなくした同い年の青年を、そんなふうに心に抱え背負ったのだろうなあと思う。


戦争ほど虚しいものはない。
愚かなものはない。
人の命を奪い、せっかく作り上げたすべてを破壊する戦争ほど、ムダなことはない。

何が環境保護だ、SDGsだ。
くそったれ、だ。