矯正歯科で、先生の施術を受ける。
薬などの科学的治療ではなく、こうした手技。
アゴからこめかみ、耳あたりを入念にマッサージ。

歯ぎしりとか食いしばりとか。
こういったほとんどの人が経験していること、これってまだ解明できていないらしい。
なんでそうなるのかわからないんですよ、と先生が言う。

ストレスが、その原因にあるであろうことは想像がつくが、誰でも生きていればストレスはある。
寝るときには、なああんにも考えず眠ってください、といわれても、意識の奥に火種は残っていて、眠りの間に顔を出す。

私は不整脈もあるので、時々その薬も飲む。
「カラダとココロを守るための薬」と効用に書いてあると、なんて親切な薬剤師さんだろうと思う。
そりゃあ、どんな薬だって飲まないほうがいい。
そんなことわかってる。
でも、人は犬や猫じゃないし鳥でもないので、うまく生きられないことも多い。
(いえいえ、私らのほうが大変ですと彼らは言うかも)

それに、人生の残り時間を考えても、薬で助けてもらえることなら助けてもらおうと決めた。
手助け程度で、毎日を乗り切る。
不整脈の薬は、筋肉を緩める作用があるので、こわばったココロやカラダを休めてくれるらしい。
あ、ヤバいなという時、これを飲んで寝る。
こうして薬との付き合いもうまくなった。


昨日はアゴの施術の後、神経を抜いてそのままになっている歯の治療に移った。
口がある程度開かないと、治療ができない。
こんな当たり前のことが、なかなか大変なことだと口が開きにくくなってわかった。

これまで、歯医者さんでしていた普通のあらゆることが、これまた普通ではないのだと知った。
語弊があるかもしれないが、カラダのどこかに障害を持つということはこういうことなんだろうなと思った。
多くの他人には何でもないことが、自分には大変なこと。

治療は、とりあえず神経を抜いた歯の消毒だけして、またすぐに仮歯をかぶせた。
きちんとした治療をするには、口を長い時間そのまま開けつづけられねばならない。

病院を出るとお腹が空いた。
近くのカフェでコーヒーとトーストを頼む。
トーストをコーヒーに浸しながら食べる。
ご飯を汁物に浸したり、と、この頃そういう食べ方ばかりだ。
でもいいや。
この先、食事が全部スープだけになってもいいや、唄えれば。
と、自分でも信じられないことを思うようになった。
あんびりーばぼー。である。