母親がさかんにお雛様のことを言う。
あれ、クミちゃんの生まれた時に買ったのよねえ。
ずいぶん古いけど、なかなか良い顔をしてるわよねえ。

ここ何年も出していないお雛様だ。
こりゃ出さねばなるまいと、屋根裏部屋に上がる。
茶箱にあるといわれたので、そこを探すが、ない。
古い服たちが重なっている。
ホコリもそこここにたまっている。


だんだん疲れてくる。
というより、昨年の父親のことあたりから、もうすっかり疲れの耐性が失われている気がする。
あの頃は、家にいても座るのが食事の間だけ、それも10分程度。
あとは、家事と老親の世話に明け暮れた。
それでもアドレナリンが出まくって動き回り、自宅に帰ると雑巾のようにへたった。

今は、母親の世話だけだが、それでも、母親も私も確実に変わってしまっている。
とにかくすぐ疲れてしまうのだ。


たったの数カ月で人は年老いるのだなあ。
母親が、ここまでお雛様のことを気にするのも、そのせいだろう。
きゅうと寂しくなって、やっと古い木箱を見つけた。
そして、それを飾った。
三月二日、前日だ。

桃の花も買い、昨日の三月三日当日には、まるで終戦後のお雛様のように、赤い敷物もなく、古びた木箱の蓋の上にお内裏様が座られた。
それでも母親はうれしそうで、何回も何回も、「これはクミちゃんの生まれた年の次の歳に買ったの。クミちゃんは9月生まれだから昭和30年ねえ」と言う。

お雛様も年とったわねえ、扇なんか壊れちゃってるしねえ。
母親は何回も何回も同じことを言う。うれしそうに言う。
私は、どんどん哀しくなる。


もうこれが最後のお雛様のような気がしてくる。

午後、父親のホームに行く。
父親はまた帰りたいなあ、疲れたなあと言う。
「父さんは、病気があるからね、今月末にまた病院に行かなくちゃね」
かんでふくめて腕や肩をさすりながら話す。

「上で甘酒用意してますよ、今日はお雛様ですから」とホーム長さんが迎えに来る。
甘酒の「酒」の部分に反応し、父親はそりゃいいと上がっていく。

「お酒なんてここでは一切飲めないんですよね」と聞くと。
なにかしらの行事のときちょっと振る舞われるとのこと。
「父はお酒好きなんです。その時はよろしくお願いします」

家にいるとき、ショットグラスに一杯だけウィスキーを母親が飲ませていた。
その頃はきっと天国だったろう。

天国って、遠くじゃなく、こっちにもあるんだなあ。
できればずっと天国の気持ちでいさせてあげたい、でもそれが本当にムズカシイ。

また気持ちがぐらぐらと揺れた。