そろそろ寝ようかと思っていたら。
スタッフツヅラからメールが。
「プーチンが核使おうとしてますっ!どうしたらいいんでしょう」という悲鳴にも似た文章。

本当に、どうしたらいいんでしょう、なのだ。
「キチガイに刃物」という、昔の諺が浮かぶ。
キチガイが、いわゆる禁止用語なので、おおっぴらに飛び交う言葉ではないが、まさにこれだなあと思う。

プーチンにはプーチンの論理があって、ロシアにはロシアの論理がある。としても、土足で人の国に侵入していくなんてのは、もうまったく正当性などない。
キチガイ、いや、気が狂ってる。


ウクライナの大統領は、国民に手りゅう弾を配るという。
国外逃亡できない、子供と老人を除く男たちは、みんながそれで戦うということか、でもそれは自爆にも似ている。
沖縄の悲劇がどうしても浮かぶ。
民間人を巻き込んだ悲劇。

いや、戦争には、軍人とか民間人とか、そんな分け目など存在しない。
日本だって、空襲や原爆で殺されたのは、民間人だ。
それに、どの家族にも兵隊さんはいたし、軍人の家族は民間人だ。
区別なんかできるわけがない。
命はみんなおんなじだ。


徹底抗戦、良く持ちこたえてがんばってる、といっても、それが良いことなのかどうかもわからない。
勝利を勝ち取るために、多くの命が散る。
それがどういうことなのか、なんだかんだいっても避けてきたことに、今、向き合うことになってしまった。


キエフで撮った写真を見直している。
空爆から逃れて地下壕にいるという人も、写っている。
アパートの居間で三世代の家族が笑っているものもある。
チェルノブイリから逃れてきた、おばちゃんたちが折ってくれた折鶴が、どうしても鶴じゃなく、アヒルかガチョウに見えてしまう、そんなショットもある。


平和は、いつもそこに当たり前にあるもんじゃないんだなあ。
また深く思う。
それは他人事じゃないことを、ますます思う。

あ、あの鶴に見えない折鶴は、ハトに似てる。
今、突然思った。