父親がホームに入ってから三か月ということで、スタッフの方々との打ち合わせというようなものがあった。
これまでとこれから。

父親の今の様子などをくわしくうかがう。
ずっと穏やかに過ごしているというので、安心もし、そうか、この人はそんなに穏やかな人だったのだなあと不思議な気持ちがした。

私の家庭は、前にも書いたように逆噴射家族のような所があって、それで早く家を出たいと思っていた。
両親が今のように穏やかに愛し合ってくれていたら、どんなにか良かったことか。
と、まあ、これは神さまの領域のことなのだろうと思うことにした。

父親には三日に一回、会いに行く。
15分だけど、髪や腕を触って話す。
「もうそろそろ帰りたいなあ」というのと「ここにいたほうがいいのかなあ」というのとどっちを聞いても、毎回胸がどきどきする。
「死ぬまでいるかなあ」と、昨日は初めて言った。
もっとどきどきした。


ホームのかたたちは、本当に親切で優しい。
父親が暮らしていられるのも、その方々の心根のおかげだ。
「ごめんなさいね、もうそろそろ」と迎えにくる職員さんの差し出す手を、しっかりと握りエレベーターに乗る。
「またすぐ来るよ」と手を振る。


帰り道、いつもなら父親のことを思い流す涙が、昨日はウクライナのキエフにいる知人たちの顔が浮かび、ぼとぼとと流れた。
父親は幸せなのだと思えた。
理不尽に侵略される人たちの顔が浮かび、どうしようもなく涙が流れる。

アフガニスタンやシリアやミャンマーや香港や台湾や。
さまざまな国にこうして知人友人がいたらどうだろう。
すべてのことが他人事にならない。
そうか、だから、いろんな国に行っていろんな人と知り合うべきなんだな、と今さらに思った。
若い頃にあっちこっちと行く意味はこれなんだなと思った。

でも、それだけ涙が増える。
心臓がばたばたする。
不安に押しつぶされそうになる。

老いた父親のあったかい手を思い出しながら、涙を拭いた。
泣いてたってしょうがないんだ。
きっちりしなきゃ。
私、きっちり生きなきゃ。