昨日は、ブログを書こうと思いながら、カーリング女子決勝に引っ張られた。
試合が始まり、ほどなく、藤澤五月選手の顔が、いつもと違うように感じた。
敗者復活前の敗戦のときと同じ顔だ。
でもまだ試合は始まったばかり。

この人の顔で、試合の流れがわかる。
指先一つの感覚で正確なストーンを滑らせるのだから、この感覚に微妙な揺るぎや不安があるのかもかもしれない。と、観戦者は心配になる。
そして、案の定、試合はその通りに進む。

どうも違う、どうも変だ、なぜだ。
これは歌い手でも同じ。
気分を上げたいのに上がらない。
上げようとするほど沈む。

それがスポーツ、それもオリンピックではどうなるのか、想像してもわからない。大変だろうとしかわからない。
でも、まあ、仕方がない。
残念だったが、最後に笑顔が溢れた。
笑顔を見せようと頑張った。

そうなんだろうなあ。
見るほうは、途中や結果はどうでも、選手が生き生きと頑張ってくれるのが何よりうれしいのだなあ。
失敗とか成功とか、勝ったとか負けたとか、そんなこと、結局どうでもいい。
笑顔を見せてくれることが、晴れ晴れとした顔を見せてくれることが「希望」だ。

こんな時代だから、よけいそう思う。
明日戦争が起きるかもしれない中、平和の祭典をしているのだ。
他民族や他文化の血の上に開かれている、人類の調和の祭典なのだ。

笑顔はいいなあ。
ますますそう思う。
一人で泣くことが増えたせいか、誰かの笑顔がうれしい。
泣いても笑ってもなら、最後はやっぱり笑うのがいい。
どんな結果でも、笑うが勝ちだ。