カーリング女子の日本チームが、敗退と思って涙の会見をしていたら、準決勝に進めることになった。
その瞬間からの、彼女たちの喜びようは、こちらまで同じようにうれしくなって涙が。
「またもう一回、いや二回、試合ができるなんてうれしい」
彼女たちは勝敗より、まだ試合ができることを喜んでいるのだった。

本当にカーリングが好きなんだなあ。
これがスポーツだよなあ。
メダルがどうしたこうしたは、結果の話。
本人たちが、そのスポーツをどれだけ愛して好きなのか。
心洗われるとはこのことか。


その反対に、フィギュアスケート。
ドーピング渦中のワリエワ選手の姿は、あまりに悲しかった。
時が止まったように静まり返る会場。
その中で、15歳の少女が泣く、ただ泣く。
いったい、なんだこれは。
もうスポーツじゃない。
こんなのもうスポーツなんかじゃない。

銀メダルの17歳の少女の言葉もまた悲しいものだった。
「4回転をすべて成功させても金メダルをとれなかった。私はもうスケートが大嫌いだ、二度としない」

10代の少女たちは、国家の威信の戦闘員だ。
任務遂行のため、集められ、そして捨てられる。
次々に才能のある戦闘員は出てくるのだ。
こうして表に出てくる選手だけじゃない、どれほどの子供たちが使い捨てされているのか。


そのスポーツが好きで、それを一生懸命やって、それがものすごく秀でてうまくて、そのあげく運もあってオリンピックに出て、それでこれまた運と努力でメダルがとれたり、とれなかったり。
それでいいじゃんと思う。
それくらいでいいじゃんと思う。

私たち、いや、私は無責任に、その姿を見て泣いたり笑ったりして感動する。
いいもんだなあと思って感動する。
それでいいじゃんと思う。
オリンピックって、スポーツって、そのくらいのものじゃなきゃいかんのじゃないかと思う。


ああ、それにしても。
ワリエワ選手って、ぬいぐるみを肌身離さず抱えてる。
素顔はまったく子供の顔、カミラちゃんなのだものなあ。