カーリングていうのは、なんとまあオモシロイ競技なんだろう。
チーム四人というのがちょうどいい。
あれやこれやと相談できるのがいい。
途中おやつを食べられるのがいい。

見ているより、ああ、やってみたいなあと思ってしまう。
あの石を持ってみたい。(石じゃないよ!)
あのタワシのでかいのでごしごしやってみたい。(タワシじゃないよ!)
すすすと氷の上を滑るように歩いてみたい。
そして、四人で喜んだり悔しがったりしてみたい。

この競技も奥が深く誰でもできるものではないのはわかっているが、スケートとか、ジャンプとか、もう、心臓がバクバクしてしまう競技を見ていると、とりあえずは、命を賭けてはいない感にほっとする。

命を賭けて感のさいたるのものは、ハーフパイプ。
ビルの四階の高さからたたきつけられたら、死んだって不思議はない。
金メダルの平野選手は、以前そういう失敗で肝臓内部破裂したという。
ああ、コワい。
でも、なんとカッコいい。

平野選手、いや、歩夢くんはサムライだ。
顔がもうすでにサムライだ。
ドラッドヘアがなぜかそのサムライ度を増している。
クールで言葉少な。
(松岡修造さんの熱血インタビューとあまりに対照的で、逆に松岡さんのブレなさにも感心した)

歩夢くんの顔は、死と隣り合わせを知っている人の顔だ。
生と死。成功と失敗。
それがまったく紙一重であることを、あの若さで知っている。
だから、ドラッドヘアが幕末の志士に見えてくるのかもしれない。


それと似て無常観とか死生観を感じさせるのが羽生選手。
競技、スポーツではあるけど、彼の演技には物語が見える。
また、彼自身がそういう劇場型人間の資質を持っているのかもしれない。
強い選手は、これからいくらでも出てくるだろうが、羽生選手が唯一無二なことは確かだ。

記録より記憶、とはよく言われるが、例えば歌にしたってそういうもんかもしれない。
もう若くもない、よれよれになってきた、そんな歌い手だからこそ、これからの唯一無二の道を見つけたいなあと思う。
いや、人はきっとみんなそうだ。
誰もその人だけの唯一無二の道を歩こうとしているのだ。
みんな旅人。そう思うと、少し元気が出てくる。