世界のどこかでは 今日も闘いが
深い傷を残して 続けられている

これはシャンソン「涙」という歌詞の冒頭だ。
この歌詞の「世界のどこかでは」というのが、気に入らないと言っていた人がいた。
その言い方が無責任だ、というのだった。
その頃、まだ若かった私だが、なんだかそんな気もした。
どこかじゃなくて、どの国、どの地域といえないのは、いかにも無責任な感じがしたのだった。


6年前。ウクライナに行った。
チェルノブイリ原発事故から30年ということで、ドキュメンタリーを撮ることになり、ロケに行ったのだ。
ウクライナでは首都キエフに滞在した。
ちょうどその2年前に、ロシアのクリミア併合があって、キエフでは、それを巡っての暴動の爪痕がたくさん残っていた。
そこここの建物や舗道が焼け焦げたり、破損していたり、そして、それをすぐに治すことのできないこの国の経済状態。
(経済成長が、たしかマイナス16パーセントとか聞いた)

そこで会った人たちの中には、親ロシア派の人もいて、ソ連の頃は経済的にも良かったと懐かしむ人もいた。
もちろん、多くの人はウクライナはウクライナと、その独立を支持していたが、言葉も、ウクライナ語、ロシア語、どっちも話せる人は多かった。

むずかしいもんなんだなあ。と思った。
周りが海の日本では、このむずかしさは、ほんとにはわからない。と思った。

「ビーちゃんから連絡きました」と、ロケにも同行していたスタッフツヅラからメールが来た。
ビーちゃんとは、ロケで通訳をしてくれていた男性でほんとの名前はビタリー。いや、ヴィタリー。
(私たちにかかると、それがビーちゃんになってしまうのだ)
キエフはまだダイジョウブそうです、とのことで、とりあえずほっとするが、日本の歌謡曲がスラスラ唄える、気のいいビーちゃんが、武器など持つ日が来ないよう祈るしかできない。


昨夜は軍部クーデターから一年経ったミャンマーのドキュメンタリーが放送されていた。
日本で暮らすミャンマー人の夫婦が、いろいろな所から送られてくる動画を必死に集め、軍部の非情さを世界に発信しようとしている。
今、私たちがそれをしないと、国の未来はなくなってしまうのですと彼らは言う。
いくら日本にいるといっても、危険なことはないのかとこちらが不安になるが、かれらの信念に揺らぎはない。


ウクライナもミャンマーも。
そして、もっとどこかで、今も闘いが続いている。

世界のどこかでは、今日も闘いが。
やっぱりこれは、こう唄うしかない歌なのだ。