このご時世だが、父のホームでは、まだ面会ができる。
ホーム内が広く、他の家族とも接触することなく過ごせるし、まず予約制。

ちょうどお昼ご飯が終わって、父がうとうとしているであろう午後にうかがう。
昨日あたりは、もうエレベーター前に出てきていた。

おお、といつも通り片手を挙げる。
今日はどんな具合か、まるで家畜とかペットとかの体調を見るように父の肩や腕や背中を撫でさする。
この時期、自宅にいてこんなにあったかい手をしていることはなかった。
このことだけでも、こうして施設で暮らすことが、カラダへの負担を減らしているのだろうなあと思う。
でも、ココロは相変わらずで、「そろそろ帰りたい」と言う。
この「帰りたい」は、この道のプロの施設長さんによると、永久に続く言葉だそうだ。


「葬式があったろう、八幡さんで」と突然、父親が言う。
誰の葬式だったかなあ、と言うが、だいたい八幡さんなどという場所が、これまで登場したことはなかった。
もしかしたら、別の入居者さんのお話と混線しているのかもしれない。
「そんなお葬式なかったよ、夢だよきっと」
「そうか、夢か」


自宅にいるとき、いっときこの「夢」が現実の邪魔をすることがたくさんあった。
これから行かなくちゃとあわてることもあって、それは夢なんだといくら言っても信じなかった。
それは夢なのだと、実際行ってみて納得させたらという知人の言葉に、それはヤバいだろうと思った。
夢は人を引きずる。
どんな夢でも、そっちへ歩み寄ってはいけない境界がある、そんな気がした。
「牡丹灯籠」じゃないけど、絶対に破ってはいけない境界があるような気がした。


「それは夢だよ」「そうか」
父親は今は驚くほど、簡単に夢を手放す。
いや、もしかすると父自身がもうかなり夢の中に住む人になってきているせいかもしれない。


「みんな親切にしてくれるよ」と父親が言う。
「それは良かったねえ、じゃあ、まだしばらくはここにいようね」
あったかくなったら、そしてコロナが収まったら、外出許可をもらって家に連れていこう。
老いたジュリエットが待つ家へ、老いたロミオを連れていこう。

春は希望だ。