湯川れい子さんに、はじめてお会いしたのはかれこれ10年ほど前。
「INORI~祈り」という歌を唄っていた私を、ランチにお誘いいただいたのだった。

湯川さんは、音楽評論家でもあり作詞家でもあり、そして平和運動などの社会活動をずっと続けてこられた。
戦争の中を生き、戦後を生き、ずっと一つの星を見つめて歩いてこられた。

その星は、人が人らしく生きれる世の中であること、女性も男性もそれぞれがそれぞれらしく生きられる世の中であること。
その星を胸にかかげ、その星に向かって歩いてこられた。


もうたいへんな大御所ではある。
そのかたを前にして、緊張した私は何を食べたか記憶にない。
私は、私の裏側まで見透かされるような気持ちがした。

それでも、一生懸命お話をした。
嘘偽りなくお話をした。
もともと、大御所が苦手なタチで、大御所というだけで粗相をしてしまうような、そんなナサケナイ私だ。
それでも、湯川さんは、その後もご一緒できるお仕事を作ってくださった。
仕事でなくても、ちょっとした飲み会もあって、小さなバーで定期的に開かれていたが、それもこのご時世で難しくなった。


その湯川さんが、昨日「徹子の部屋」に出演されていて、その湯川さんのお顔が、いつにも増してきりりとされていた。
それは、湯川さんの亡くなられたお兄様のお話で、音楽や自由を愛した若い男性が、見も知らぬ外国の人と殺し合いをせねばならず、あげく、南の島で息絶える、その不条理への憤りが、そのお体全体から発せられている気がした。
戦争、このあまりにばかばかしいものへの怒りが、今の湯川さんを支えている。
(それは徹子さんとて同じだろう)

家族のために防空壕を三日かけて掘り、その間口笛を吹いていた美しいメロディーのお話は、本で読んでも、実際こうして聞いても、涙が溢れる。

「時代のカナリア」。
それが今回湯川さんの出された本の名だ。
炭鉱のカナリアは、坑内にガスがたまると死んでしまう。その危険察知のため、炭鉱夫はカナリアのカゴを持って坑内に入る、そんな時代があった。

だから、私たちはカナリアなのだ。
音楽や芝居に関わるものには、時代の空気を感じるカナリアの役割りがあるのだ。
自由にさえずるカナリアが、そのさえずりをできなくなる時。それはどういう時か。


湯川さんはバトンを渡そうとしているのだなあと思った。
次の時代への、バトン。
だから、この本は一つの「遺言」なのだ。
90歳を前にした湯川さんの遺言。

何言ってるの、あたし、まだまだがんばるわよ。
と、あでやかに笑う湯川さんのお顔が浮かぶ。

ちなみに、亡くなったお兄様の愛した歌は「スリ―ピ―・ラグーン」。
眠るような環礁、というタイトル通り、なんとも甘く愛くるしく美しい。
この歌を口笛で吹きながら防空壕を掘っていたなんて。
昔のことではなく、昨日のこと、今日のことのように心がざわめく。涙が溢れる。