父親に面会に行く。
母親は今回は行かない。

母親の体調が今一つのせいもあるし、行くと父親がやたら泣くせいもある。
こんなに泣く人だとは思いもしなかった。

そういえば、こういう男の子がいたことを思い出した。
それまでみんなで元気に遊んでいたのに、夕暮れになって、母親が迎えに来るとその胸にぎゃあんといって泣き寄る。
それを見てみんなぽかんとする。
え、そんなにツラかったの、イヤだったの私たちといるの。
キツネにつままれたような気になる。

そんなことを思い出した。
今、父親にとって母親は、そういう存在なのかもしれない。
一生懸命ガマンしてるけど、母親と会うと、すべてがほどけてしまう。

認知症のケア専門士という肩書きを持つ施設長さんに聞くと、「感情失禁」というものらしい。
溢れる感情を抑えきれない、ということで、これまで尿失禁や便失禁などのカラダのことばかり気にしていた私は、なんとも哀しい気持ちになる。


ただ、そのことを本人は忘れてしまう。
泣いたことも、面会したことも、しばらく経つとなかったことになる。
永遠のゼロのようだ。
でも、ほんとにそうなんだろうか。
感情のオリは、溜まっていくんじゃないだろうか。
ゼロのようでゼロではない。
ゼロみたいだけど、見えないオリがじっと溜まっていく。

昨日、会った父親の顔に、そんなオリのようなものを見て、胸が塞いだ。
「ママは元気か」と心配し「あれ、俺はどこへ帰るんだっけ」と言う。
それが、ずっと続く。
答え続けて一時間弱が過ぎる。


父親の老い、母親の老い。
北風に向かって自転車をこぎながら、胸が痛んだ。