母親の自宅での訪問診療、それから父親の施設での訪問診療。
今は、この訪問診療がかなりの医療部分を占めているようだ。

こちらから出向くのに苦労する老人の健康を、月二回くらい、あちらからチェックしに来てくれる。
でも、たいてい健康な時に来る。

具合が悪ければ、当然検査が必要なので、出向かねばならない。
去年は、車椅子操作の失敗ばかりした。
そして24時間対応をうたってはいるが、誰も電話口に出ないこともあるし、出てくれたからと言って、それがはたして「対応」なのかと思うことも多い。

下痢をしたといえば、緩下剤を減らしてください、というのは、それは「対応」なのか。
シロウトでも考えることを言われても、説得力がないし、不安は募る。


膀胱がんの入院前には、このやりとりに消耗した。
一回、来てみてください、実際に父を診て見てください、という言い方もケンカ腰になっていた。
「健康な時、ちょちょっと血圧測って、聴診器あてて、それが訪問診療ってもんなんですか」
ケンカ腰じゃない、ケンカだ。

このことが、ずっと心のオリになっていて。
昨日も、父親の施設で訪問診療を担当する医師に、すでに不信感を持ってしまっていた。
若いということは悪いことではない。
若い医師でも、信頼できる人はいる。
でも、どうもこいつはなあと、会った一瞬でなんとなく「わかって」しまうのは、長く生きてきたこっち側の、経験からくる「勘」かもしれない。

その若い医師が言うには。
「お父さまは、足腰がまだ強いので、歩き回って転倒の心配があります。そして人に対しての興味も好奇心もおありなので、他のかたに話しかけているようで」
話しかけれたかたが迷惑に思っているらしいというのだった。

だから、抑肝散をもう一包増やしましょう、というのだった。
だんだんカラダが震えてきた。

他人に興味を持つのは迷惑だから、薬で落ち着かせようというのか。
アタマが熱くなって震えてきた。
もう、そのまま父を連れてそこから出てしまいたくなる衝動をこらえ、そうだ、このところこういう自分に後悔してるんだったと思い出した。
そうだ、私ってずっと戦闘モードになってる。
おさえなきゃ、おさえなきゃ。


そこから、懸命に冷静を取り戻し、いろんな話をした。
施設のかたも同席しているので、あれやこれやと話をした。
途中、泣きそうになって声が震えるのを懸命にこらえた。
こんなとこで、こんな若造医者の前で、泣いてたまるか。

そうして。
施設の年輩のケアマネさんのあたたかい言葉に、救われながら、家に戻った。

こんな良い人がいてくれるなら、父もダイジョウブかもしれないと思えてきた。思おうとした。


ああ、まだまだすべてが道途中だ。
昨夜は睡眠剤を飲んでも、目が冴えた。
その薬は、父が飲んでるのとおんなじなのが、ちょっとおかしい。
親子で、毎晩、別の場所で、おんなじ薬を飲んで寝てるんだな。