親より一日でも長く生きる。
そんなことを昨日書いたけど。

神田沙也加さんのお骨を手にした、ご両親の姿に、胸がつまった。
若い。こんなに若い。
そして苦しい。
若いと苦しい、字が驚くほど似ている。


どなたの死の原因も、推測することははばかれる。
それでも、一つ、とてもつらいことだなあと思えた、わが身にも引き寄せられたのが「声の不調」というものだった。

こういう仕事をしていて、声が出なくなることほど辛いことはない。
私も二回手術をしているが、それ以外でも、声帯がまったく動かなくなった時には、次のコンサートまでの一週間で驚くほど痩せた。
お客さまに土下座することも考えた。

私ごときでこれだ。
しかもたくさんの人が出演するミュージカル。
そして主役。

一人のコンサートでさえ辛いのに、ミュージカルの主役はどれだけの重荷を背負っていることか。
唄い、しゃべり、踊る。
この、歌うとしゃべる、という二つの違う声の使い方が、声帯のおおきな負担になる。

しかも長丁場の公演。
これをほとんど支障なくできている人は、私の知るところでは井上芳雄さんだけだ。その芳雄さんでさえ、声帯を保つ方策に工夫苦心をされていた。

それだけ、大変なものだ
カラダにも心にも、大きな負荷がかかる。


声が出なくなってくると、震える。
カラダが震えてくる。
一人で、これからを思い、消えてなくなりたいと思う。

でも、やり直しはきくのだ、人生は長いのだと、どこからか囁きが聞こえれば。
そのことを思うと、やるせない。
誰のせいでもないとわかっていても、どうにもやるせない。

ただご冥福を祈るしかない。
天に昇り、そこで美しい歌声を響かせるであろう歌姫の、永遠の幸せを祈るしかない。