起きると、足腰がぎしぎししている。
やはり、緊張した一日だったのだろうなあと思う。

父親が入院した。
入院前にも、リハパンの取り替えやらでばたばたする。
いつも助けてもらっている友人と一緒に病院へ。

もう一人で歩けない父親とデカいリハパンも含めた荷物は、一人ではどうにもならない。
人に助けてもらわないと、私はもう何もできないのだ。

母親は「元気になって帰ってこなくちゃ」と、父親にハッパをかけている。
でも、もうそれはどうなのかなあと、その声を離れて聞きながら思う。

入院前より元気になる、手術をして元気になる。
これは93歳の老人には、とうていムズカシイことだろうと思う。
一つ一つ、山を越えていくたびに、旅人は年老い、力を失っていく。

それは、この数年ですっかりわかってしまったことだ。
一つ山を越えれば、そこで失われたものはもう戻らない。


前回の緊急入院手術と違い、今回はその手続きひとつもなかなかに時間のかかるものだった。
コロナ検査室と同じ病棟で、それぞれの入院者が分かれて、順番を待つ。

父親が病室へ向かう扉に消えていく。
「よろしくお願いします」
その後ろ姿に深くお辞儀をした。
「お葬式じゃないんだから」と、同行した友人に言われるが、彼女もまた深くお辞儀をしていたのを知っている。


ふうとため息をつく間もなく、退院後にもしかしたら必要になるかもしれない介護施設に向かう。
24時間介護付きのホーム二か所。
家族では見きれなくなるときのために、あらかじめ説明を受けておく。

夜間ずっと付き添うのは、無理なことだと入院前によおくわかった。
いろいろと介護サービスを受けても、どうにもムズカシイことはある。
そのこともわかった。


二か所を回り、説明を受けている間に、目が廻ってきた。
空腹なのだった。
飲まず食わずだった。
コロナのせいか、どこでもお茶一杯出ない。

「老後にはお金だということだけは、よくわかりました」
そう言うと、みんなが苦笑する。
でも、ほんとに、これだけはわかった。
ものすごくわかった。

帰宅すると、母親が一人ぽつんと待っていた。
生気が抜けたよう。

生きるのも死ぬのも、まあほんとに大変なことだ。

長生きだけはしたくない。
長生きをされている方々には、まったく失礼だなことだとは思うが、この思いだけは年々、募る。
いやいや待てよ。長生きをしたくないじゃなく、長生きなんかできない、これが正確かもしれないなあ。