カタチになるのかならんのか。
まったくわからないまま、シャンソン界の先輩のインタビューを続けている。

昨夜は、そのお二人目。
実名をお出ししてもいいだろう。
瀬間千恵さん。

「もしおいやでなければ、おいくつになられましたか」
などと、失礼なスタッフがお尋ねする。

瀬間さんは、変わらぬ艶然、婉然とした微笑みで。
「四捨五入するともう90よ」とおっしゃる。

ざざざと、計算すると、私が「銀巴里」でご一緒したときには、40代から50代だったということになる。
今なら、いや、私など、その年代はまったくのペーペー。
道に迷う弱い愚か者だった。

瀬間さんは、そうではなかった。
その頃、すでに女王さまのようだった。

瀬間さんは瀬間様と呼ばれる。
美輪さんを美輪様と呼ぶ人が多いのと同じ。
さん、などといってはバチが当たる感じがしてしまう。
それほど、このお二人のこの世離れしたゴージャス感と、威厳は、シャンソン界でも屈指だ。


その瀬間さんの色々なお話をうかがう。
子供の頃のこと、お母さまのこと、お父さまのこと。
並大抵ではなかった来し方が見えてくる。
それでも、屈しなかった長い黒髪の美少女が、ふうとよぎる。

どれほどの美しさだったことか。
四捨五入して90、とおっしゃるお顔は、今も胸が騒ぐほど美しい。


一葉のお写真をいただいた。
「前の家で撮ったのよ。一人になってからは小さい所に引っ越したけどね」
シャンデリアの輝く部屋で、大きな真っ白いボルゾイ犬二匹と、おなじく真っ白いオストリッチの羽根だらけのドレスの瀬間さん。
この世のものとは思えない。

そんな瀬間さんの唄う歌は、甘くない。
売春宿の女の歌や、原爆で焼かれた女の子の歌や。
一粒の甘さもない。
なのに、観客は陶然とする。

瀬間さんの逸話は数限りない。
生きた伝説のようだ。
戦争をくぐりぬけ、芸の道で生き抜けた人にしか生まれないスケールがある。

それに圧倒される。
歌一つがどうのこうのではなく、その人の歴史が、もっと大きな、ニンゲンという生き物の歴史そのものに思えてくる。
陽の当たる場所も、暗く湿った場所も、全部を知った人の歴史。

私なんか、まったく小粒だなあと思う。
豆でいったら、ちっちゃい小豆か。
でも、小豆は小豆なりに、空豆や刀豆にもひるまず生きねばなあと思う。


「長く生きてきてね、今思うのよ」
最後に瀬間さんが私の目をじっと見て。
「人生は美しい、ってね」

人生は美しい。
この言葉だけで、もう十分です。
一生懸命、私、生きます。
一生懸命、一生懸命、生きます。