食事をとらずにする検査は、私たちでもしんどい。
老人には、もっとしんどい。

気遣いながら、更衣室で、父親のあれやこれやを手伝う。
冬は着ているものが多くて大変だ。

こうして、十余年、父にも母にも付き添ってきた。
検査や手術や通院や、まあ、いろんなことがあった。
突然必要になった紙パンツを求め、四谷の街を駆け回ったことも、突然気絶した親を前に呆然とし、介抱したことも。

そんなことをつらつら。検査室の前で思い出す。
CT検査の向こうは無音だけど、エコー検査室の向こうから声が聞こえる。

「息を大きく吸って。はい、止めて」
とか「少しカラダずらしましょう」とか。
いろんな指示が聞こえてくる。

「こういう指示をわからなくなったらどうするんでしょうか」
と、検査後に、技師さんに尋ねてみる。

「いいえ、ダイジョウブですよ、どんな方もちゃんとできますよ。それなりにうまくやれますから」
と、ベテランらしい女性技師さんが、コチラの気持ちを安心させるように答えてくれる。

耳も遠く認知能力も衰え、カラダの自由も効かなくなる老人を相手に、このかたたちは色んな智恵を持って対処しているのだった。
ほんとうにありがたいことだなあと、胸が熱くなる。


隣の検査室に男性が運ばれてくる。
入院患者のようだ。
靴もそのままで、みんなに支えられベッドに寝かされる。

父も入院中はこうして、みんなのチカラを借りて生きているんだろうなあ。
ありがたいことだなあ。



人は一人でなんか生きられない。
生きるのも死ぬのも、一人でなんかできない。
なんとまあ、やっかいで弱い生き物なんだろうニンゲンて。


会計を待つ間、持参したウィダーインゼリーを父親に飲ませる。
すっかり握力のなくなった手で、父親が旨そうに飲む。

そうだ、これまた買っとかなきゃ。
アタマの中の買い物リストに書き込んだ。