「どうですか体調は」と尋ねる訪問診療の先生に。
「いえ、まったく問題ありません。快調そのものです」といつも通り父親が答える。
男というものは、いくつになってもこういうものだろうか。
いや、単に父親の性格なのか。

実際の問題点は、私がきちんと伝え、それからリハーサルに出かける。

今回、一曲だけジャズピアニストの桑原あいさんが参加してくれる。
まったくの新曲で、私も譜面を見ながらでないと正確に唄えそうにない。
フラットマークが6つもついている。
でも、あいちゃんが言うには「このキーが一番この歌にあってると思いました」。
歌はフラット系になるかシャープ系になるか、あるいは何もないかでぜんぜん趣が違う。
演奏するには、こんなにマークがついていると大変だろうと思うが、そこまでこだわって作ってくれたことがうれしい。

私の介護生活のことも知っていて、そんな話をする。
「じつは私のおばあちゃんも最近亡くなりました」
聞けば、私の両親と年齢も近い。
コロナ禍の中、病室には母親だけが入り、スマホを通してベッドのおばあちゃんとお話ししたという。

だんだんあいちゃんの目が潤んでくる。
「でも、私、最後にきちんと白い着物をきせてもらったり髪を洗ってもらったりするところにちゃんと立ち会うことができたんです」
納棺式というものだな。

「これまでお葬式しか見たことなくて、その前を知りませんでした」
そしてその納棺式を見て、心が驚くほど立ち直れたというのだ。
「そうか、死はお別れじゃない、新しい旅立ちなんだなあって」

納棺式かあ。
これまで、そんなこと考えもしなかった。
「おくりびと」の映画も見たけど、それを実際のお葬式と重ねて考えることもなかった。

逝く人と残る人。
その間をきちんと橋渡しするもの。
残される人を勇気づけるもの。
どちらにも新しい旅立ちをさせるもの。
それが納棺式なのだなあ。


「ほんとに不思議な気持ちでした。でも、それでまた立ち直れました」
新しい旅へいってらしゃい。新しい門出。
ボンボヤージュだね。
「はい!ボンボヤージュです」


今度のコンサートでは、たまたまこの歌も入れていた。
不実な男と、それを見送る女の歌だけど、また違う別れと旅立ちの景色が見えた。

別れは旅立ち。
うちの父さんと母さんも、きちんと納棺式しなきゃ、と、密かに思った。