まことしやか。というのがある。
昨日結婚された眞子さんの父上、秋篠宮さまを産んだ女性は、じつは美智子さまではなく、Kという女優である。
これはホントの話で公然の秘密なのだ。
この話が「まことしやか」に流れた。


この話は、けっこういろんな人の口にのぼる噂で、まさかあといいながら、そういえば顔が似てるとかなんとかで、みんながぺちゃくちゃしゃべりあった。
皇族というやんごとない方々と、自分たちを強引に地続きにする、昔からよくある「まことしやかな噂」だった。


昔、まだ雅子さまが雅子さんだった頃、おなじ同期の官僚をしていた知人が、テニスに同行したという。
場所が皇居内のコートらしく、その様子にその人はいたく驚いた。そのテニスコートのあまりの質素さにだ。
「皇室ってすべてが質素みたいですねえ」


昨日。
数年前とは別人のように痩せた若い二人が、一瞬見つめ合う写真を見て、目が滲んだ。
ずっとずっと会えなくて、でも、心だけを通じさせ、めちゃくちゃともいえる誹謗中傷の嵐の中を歩いてきた。
その姿に、もう誰が何を言えるのかと思った。


ひとそれぞれの考えはある。
皇室はどうあるべきかとか、男系天皇女系天皇の違いとか。
どんなことを思っても言っても許されるのがこの国だ。

でも、自分がその人の立場だったらと、一個人に立ち返ることが、まずはすべての考えの原点になるだろうと思う。

自分の親や子や愛する人が、顔も知らない無数の人から反撃を許されないまま攻撃され続けること。
生まれた場所を自分で決められないのに、そこにあることだけで、多くの制約を受けること。
男子を産むことだけが女性の任務であること。
たとえば、あまりの苦しさに自死を思ったとしても、それさえ許されないこと。


私は、ネットでは皇室がらみの情報は見ない。
でも、新聞を開くと週刊誌の見出しに胸がつまりそうになる。
どの名前も「さん」や「さま」が粒のように小さいので、もうどの人も極悪人のようにさらされている。

美智子さまは、以前言葉を出せなくなるご病気になったし、雅子さまもいまだに闘病中、そして、眞子さんも。
公表されている情報だけで、こんな状況だ。

この人が自分だったら。この人が家族だったら。この人が愛する人だったら。

少なくとも記者の人たちは、そのことを念頭に置くべきだろう。
モノを書くという仕事は、決して誰かを追い詰め苦しませるものではないだろう。
反撃できない相手を攻撃することを「卑怯」というのだろう。


愛しています。
記者会見でのこの言葉。
「愛の讃歌」が聞こえてくるようだった。