昨日、先輩のシャンソン歌手のかたのお話をうかがう機会があった。
「銀巴里」の先輩でもあり、その波乱に満ちた人生と、絹のような歌声が人をひきつけるKさん。


初めてお会いしたのは「銀巴里」で、私がまだ30歳になったかならないかくらい。
「あたしねえ、新幹線乗ってたら、急に頭が痛くなって、それであわてて紙に知らせてほしい人の電話番号書いて、隣の席の人に渡して、それから気を失ったのよお」
と、くも膜下出血のことを話すKさんにぶったまげた。

それからKさんが胃がんになったことや、それでも、炊飯器を抱えるようにご飯を食べていたことや、お寿司を頼んだら箸が11人分付いていたことや、とにかくその豪快なエピソードはよく耳に入ってきた。


私がはじめてパリに行った時にも、カルチェラタンの街角で牡蠣にむしゃぶりつくご婦人に、地元の人かと思ったら、そのKさんだった。
すべてが、規格外のKさん。


そして、何より。
Kさんは恋の人なのだった。
恋だけで人生がまわっている。

きょろきょろと街を歩いていて、素敵な男性を見て、思わず話しかけたという。
「あなた、ご自分がそんなに素敵なことごぞんじですか?」
だって、その人全然気づいてない感じだったんだもの、とKさんは言う。

こんなことできちゃうのはKさんだけだ。
ほんとにKさんの人生は恋と病気と歌に彩られている。


すごいもんだなあ。と、私は幸せな気持ちでコーヒーをいただいていた。
こういう「規格外」の人が、以前はたくさんいた。
きっとどの世界でも、たくさんいたのだろう。

社会的規律とか制裁とか、そういったことから自由な人たちが、社会をまわしていたのだと思う。
敗戦後、すべての価値がひっくりかえって、学生運動もあって、でも、誰もがこれからに希望や野心を持てた時代。
そのエネルギーの中で生まれ育った人たちのエネルギーは、まったくハンパじゃない。

そういう型破りな人たちが、この国の成長を支えたのだろうなあと思えた。
歌の世界でも、そうなのだろう。

どんどん小粒になるなあ、と自分も含め、いじましい気持ちにもなる。
でも、しょうがないんだなあ。

時代が人を作るというのは、きっと本当だ。

歌を捨てないと、これからたくさんの不幸に襲われるって、昔知人に(おそらく霊能関係だろう)言われたけど、それはできなかったわねえ、だって歌が大好きなんだもん、でも、不幸は本当にたくさん襲ってきたわねえ、これからもまだまだ続くと思うわねえ。でもしょうがないわ、歌好きだもん。


恋と歌とご飯と、自由と。

これからまた、先輩のところに伺うつもりだ。
まだまだお会いしたい、お話したい先輩だらけなのだ。
お歳を召された先輩方も、そして私自身も、そんなに時間が残されているとは思えない。


でも、人生や時代という、でかい怪物としっかりと向き合いたい、見極めることはできなくても見つめたい。
そんな気持ちが私を動かしている。


Kさんの部屋を出ると、外はいっそう寒かった。
もう冬になっていた。