いろんな方々にお世話になって生きてきた。
今回のコンサートでも、そう。

昨日はTBSラジオの生島ヒロシさんの番組へ。
リアルタイムではむずかしいので、収録。

生島さんは、十年前の大震災からご縁ができた。
気仙沼のご出身なので、石巻で被災した私とイベントなどでご一緒するうち、親しくさせていただくようになった。


TBSのラジオという部門は、本当に歴史が深く、そこで番組を持たれている方々には、ある種の誇りがあるように思う。
大沢悠里さんしかり、森本毅郎さんしかり、生島さんしかり。(もちろん芳雄さんも)
その源には、永六輔さんがいる。

どなたも永さんを心からリスペクトされているのがわかる。
その永さんのお話を、昨日していて。
まだ永さんに連れられて各地の公演に同行していた頃、新幹線など乗ると、その頃は(というか最近まで)車掌さんが切符拝見の検札に来ていた。

それはおかしいだろう、ちゃんと指定された席に乗っているのだからと、永さんはずっとそのことに異議を唱えていた。
ここらあたりが永さんの真骨頂。
おかしいと思うことをおかしいという。

その頃はたしか国鉄だったかもしれない。
どうやら国鉄サイドでは、めんどくさい永さんを見かけたら、声をかけない検札をしないという裏掟があったらしい。
車掌さんは私たちには声をかけても永さんはスルーした。
時々、新人がいて、声をかけなどしたら大変。
そんな話で、生島さんと大笑いをした。
永さんらしいエピソードに生島さんは涙が出るほど笑われた。

今永さんがいたらどうだったろう。
そんなことをふと思う。
おかしいことをおかしいときちんという人が、今いたらと思う。


あ、あっちに悠里さんいるよ、クミコちゃん呼んでるよ、といわれ、そのスタジオにご挨拶に行く。
悠里さんは、ぴしりとしたスーツに身をかため、引退してずいぶんたったギャングの親分、いや、ご意見番のようだった。
「おれ、もう80だからさあ」


思えば、こうして皆さんに助けられ生きてきたのだ。
私一人の才能など無きに等しい。
助けてくださった方々のお顔が、ぐるぐるまわる。


恩返しなどできていない。
まったくできていない。
でも、まだこうして歌を唄っていることが、すこしでもその御恩に報いることかもしれないと、思う。
思うようにしている。


ありがたいは有り難い。
ほんとは有ることが難しいことなのだ。
ああ、ありがたい。