いつも親しくさせていただいている残間里江子さんのブログを開くと。
なんと、私のコンサートのことが書かれていた。
勝手連と称して、お客さまの集客に心を砕いてくださっている。
まあ、本当に、なんとありがたい。
残間さんのブログの最後には、いつも愛猫けむりが写っている。
けむり嬢は、残間さんの息子さんが飼われていたのに、もともとそこにいた先住猫に追い出されたらしい。
ネコの嫉妬というのも、ものすごいということだ。
いつか本物のけむり嬢に会ってみたいのだけど、こうして毎日写真だけでも、十分に心が癒される。
ありがたい。

ちなみに、残間さんのブログは「~いろいろあるけど限りある人生~そろそろワガママでいこう!」
https://www.club-willbe.jp/zamma2/



昨日は、父親の体調がまた悪くなったので、あわてて診察時間ぎりぎりに病院に駆け込んだ。
手術の相談をせねばと思ったのだが、二時間以上待ち、結局のところ、この年齢での手術はもうムズカシイとの判断。

先月末の手術と入院で、もうこれ以上は無理だなあとも思っていたので、仕方がない。
病院からいわせれば、手術中に亡くなる可能性の高い高齢者は、なるべくしたくないということだ。

でも、これからどうなるんだろう。
悪性腫瘍がそれで消えてくれるわけでもない。
いや、人には必ず死因があるのだから、しょうがないのだ。
と心が行ったり来たりして。
「先生、人はどうやって死んでいくんでしょう」
と、思わず口走っていた。

若いお医者さんは、不意をつかれたように、でも、懸命に答える。
「だんだんと衰弱して行って・・・」
そうしか答えられないだろうことだとはわかっている。

でも、死は一人一人。
おしなべて、はない。
みんな一人一人のこと。

生き方が一人一人であるように、死もまた一人一人。

病院にいると、死に方、生き方をいつも突き付けられる。
そして、毎回決意するのが。
「きちんと死んでいこう」

なるべくしてなる病に身をまかせ、きちんと死ぬ。
きちんと身の回りのことを処理して、それから、アチラへ行く。

なので、今できることは、健診の類をしないこと。
こんなこと、胸を張って宣言することでもないし、ヒンシュクをかいそうなものでもあるけど。

コチラ側に長居はしたくないと、いつも思う私としてはこれが今の信条でもある。
なので、唄えるうちに唄っておこう。
目の前にある唄う機会には、全力で臨む。

それがいつまでできるか、それぞ神のみぞ知るってことだなあ。