昼食後。
両親にお茶をいれていると、ドアホンが鳴った。

ご近所のNさんだ。
出ていくと、Nさんは開口一番、「この前の地震大丈夫でしたか」と心配してくださる。

「あの地震のあと、外に出て、こちらまで来たんですけどひっそりしてらしたので、そのまま帰りました。でも心配なので、うかがいました」

老親二人のことを、こうして気にかけてくださることがうれしい。
Nさんとて、もう80歳を過ぎてご主人との二人暮らしだ。

「お父さまはその後いかがですか」
「はい、今朝、私一人で病院に行ってきました」

父親の今の状況を説明する。
今のわが家の状況もお話する。
Nさんの眼が潤んでいくのを見て、こちらも胸が熱くなる。


ご近所というのはありがたい。
共同住宅暮らしだと、なかなかこうはいかない。
それでも、顔見知りのかたと、ちょっとしたご挨拶やら立ち話をするだけで、心の奥が平らかになる。


ところが、先日。
入り口で通りかかった若者に、「こんばんは」といったらまったく無視された。
耳にイヤホンをしているらしい。
それでも無視はないだろう。

「てめえは、口がきけねえのか」
ビックリした。
こんな言葉を若者の後方でつぶやいた自分にビックリした。
私、そうとうすさんでるんじゃないのか。

良い言葉が良い人を作る。
良い言葉が良い環境を作る。
そういうことであろうはずなのに、こういった場面で荒々しい自分の本性を見てしまう。

やば。あたし、やば。



「今度のコンサートには、あのかたも出られるんですね。
とても良いかたのようですねえ」
「はい、篠井さんはほんとに素晴らしいかたです」
「良いかたは良いかたとお仲間になるんですねえ」
「いえいえ」

コロナ前には、コンサートに足を運んでくださっていたNさんは、今回うかがえない代わりにCD三枚お願いしますねと言って、ちょっとふらつく足取りで帰って行かれた。

ありがとうございます。
その後ろ姿に、アタマを下げた。