一応シャンソン歌手だけど、日本で良く知られていると思われるシャンソンは、唄っていないことが多い。

たとえば「パリ野郎」とか「巴里の屋根の下」とか「巴里の空の下」とかの、タイトルにパリそのものがでてくるもの。
メロディを聞けば、ああ聞いたことあると、ある年代からは認知される歌たち。

そのうち二曲を唄う仕事があってリハ―サルに出かけた。

アコーディオンの桑山さん率いるバンドの音に、スタジオがパリに変わる。
ああ、なんか気持ちいいなあ。
そんな時には、現実のシンドイことを忘れる。

そうなんだな、歌って、音楽って、このためにあるんだなと思う。
生きてるのは大変だ。
何で生まれてくるのだ、死ぬために。
そんなこと、否が応でも思ってしまう時。
歌が、音楽が、ふううと心に入る。
慰め励まし、寄り添う。
歌は寄り添い。
ただ、そのためにあるのかもしれない。

その後。
このところすっかりご無沙汰してしまった美容院に行く。
ぼさぼさだ。
担当してくださっているYさんが、こっそりと。
「今、大竹さんみえてるんです」
「えっ、会いたいです、会いたいです!」

こうして、最後のシャンプーが終わったところで、会いに行く。
会ったとたん抱き合ってしまう。

しのぶさんは、いつも私の家庭を心配してくださっている。
ご自身の看取りを終え、その辛い経験から、私の親のことも同じように心配してくださっている。

私は、失礼にも「しのぶちゃん」と呼んでしまっている。
彼女の目が、人の痛みへの「共感」に満ちているからだ。
寄り添いに溢れているからだ。


ついさっき。
夜、父親の寄り添いをしてくれている看護師の友人と、これからのことを話した。
ちょっとムズカシイ局面に入った感じがする。

でも、なんとかがんばろ。
みんなに寄り添ってもらいながら、がんばろ。