涼しくなったと思ったら、また夏日になったり、ムシムシしたり。
そんな中、父親の体調が悪くなった。

「熱が出たのよ、38度」
と、夕方母親からの電話。

二時間前には一緒だった父親の様子を思い出す。
たしかにちょっとシンドそうではあったかもしれないが、別に異常もなかったなあ。

実家の近くに住む看護師の友人に行ってもらう。
補水液やらゼリーやらを飲ませ、様子をみる。

熱中症だろう。
でも、もしかして、尿道感染症とかあるかもしれないから、明朝の様子を見ようということに。


結局体温は最高38.5度まで上がり、いよいよ明日は訪問診療のお医者さんに連絡しよう。
まあ、年寄りなんだから、何があっても不思議はない。
どんな覚悟もしてるよ、もう。

なんて思ってたら、その夜。
つつつと熱は下がり、いつも通り、寝る前のささやかな楽しみ。
ウイスキーのストレートをちっちゃいグラスで、それに水のチェイサー。
「ちゃんと飲んで寝たわよ」と屈託ない母親。

え。解熱剤飲ませてるのに、そりゃあいかんでしょう、とう言葉はするすると飲み込まれた。

もういいんじゃない。それでも。


昔ながらのウィスキー&チェイサー。
私が子供の頃から馴染みの風景。
途中、長い間消えてしまったけど、ここにきて復活。
若かった二人はもうおじいちゃんとおばちゃん。


もう好きなように好きなことを。


そして翌朝。
心配だった熱も元に戻り、何より驚くのは、すべてを本人が忘れていることだった。
さぞかしシンドイ時間もあっただろうに、それらはなかったことになっている。
大きな河の流れに、すべてのことが流される。

きっと、父さん自分が死んじゃってもそのこと忘れてると思うよ。
と、母親にいうと、母親は「まさかあ」と笑う。
その「まさかあ」には、二人で歩いてきた長い道のりが見える。
一緒に歩いてきたんだもん。
そんなに忘れちゃうわけないわよお。


父親にとって一番大切なのは母親で、それを忘れることなどないのが、今なにより幸せなことだ。
私のことなど忘れても、きっと母親は忘れないだろう。
そのことで、じゅうぶん幸せな気持ちになる。

もういいんだ、これで。


「ウィスキーがお好きでしょ」の風景が、93才の二人に永遠に続きますよう。