「今日は閉会式があるわあ」
母親が嬉しそうに言う。

今回のオリパラを、開会式閉会式も含め、一番楽しんだのは母親だ。
テレビでは、たいていその時々の競技が映っていたし、ナニナニのナニナニってすごいわねえと感動したりしている。


私は、どういうものでも「式」が苦手なので、まったく見ていない。
(この「式ぎらい」は、子供の頃からで、学校ではよく走って逃げていたなあ)

運動も苦手だけど、パラリンピック競技は時々見た。
ナニカシラの障害(この言葉他にないのかなあ)を持った人たちの挑戦を見ていると、ふつふつと生きるチカラが自分の内にも湧いてくる。


昨日あたりは、閉会式もとっくに終わったあたりで、一人の老人のドキュメントを見た。
戦後、不発弾で遊んでいて両手と目と、そして弟を失くした男性。
その人が、唇の先っちょで点字を読めるようになったこととで、一気に希望の光が射しこむ。
それからの人生の挑戦の日々。
両手はヒジから先がない。全盲である。
このハンデをものともせず、社会科の教師を目指す。

このドキュメントを、お風呂に入る直前だというのに見続けたのは、その人の穏やかさと知的な話し方にひきつけられたからだ。
同じ境遇で、やさぐれ道を踏み外した人も大勢いただろうに、この人は違う。
素敵なのだ。
立派という表現では収まらない、とにかく素敵なのだ。
人としてものすごく魅力的なのだ。


障害を持って頑張る人を立派だなあと感心することはある。でも、それだけじゃない。
立派だけど魅力的。素敵。

パラリンピックでも、それを教えられた。
素敵は、人それぞれがその生き方で得るものなんだな。


あ。そうそう。
夜、解説者として登場していた風間俊介さんも、なかなかに素敵でした。

素敵はいいなあ。