レコード会社に私宛のお手紙が届いていた。
優しく、でも、しっかりとした字体。
でも、なんでレコード会社に。

四枚の便箋。
Kちゃんの死のお知らせだった。

Kちゃんは、近所でちっちゃなちっちゃな居酒屋をしていた。
いつも湯上りのような上機嫌の顔で、こういうのをまさに福顔と言うのだろうと思った。
穏やかで、優しく、身の程をわきまえたという言い方の良い所だけを持ったような人。

そのKちゃんの店が去年夏、突然閉まった。
貼り紙が一枚ドアに貼られていた。
38年間皆様にお世話になり店をつづけてきたこと、そして、やむなく閉店すること、そして、転居先の住所。

浅草だった。
そうかKちゃんは浅草に行ったのだな。


つましく、でも、きちんと暮らしをしていたKちゃんには、きっと心を許し合った人がいるに違いない、とは思っていた。
それは、休みになると、まったく人影のなくなる店の二階を見てもわかった。
その大切な誰かに支えられ、Kちゃんは、長い年月を暮らしてきたのだろう。


今年になって、Kちゃんにお葉書を出した。
「店をたたんでも、そちらで元気でいてください」
すると、返信がきた。
「病気をわずらいましたが、今は元気で、人間的に素晴らしいかたのお世話になっています」

ああ、良かった。

でも字が最後に震えているように見え、書かれている携帯番号の下二ケタがあやしい。
早速ショートメールをしてみたが、やはりツナガラない。
もうKちゃんたら。


そんなこともすっかり忘れていたところに、このお手紙だった。
浅草からのお手紙は、丁寧で温かく、一枚一枚から真心が立ち上ってくるようだった。


Kちゃんが、亡くなったこと。ガンだったこと。
遺品の整理をしていたら、チラシの裏にクミコさんの「広い河の岸辺」の歌詞があったこと。
アナログな人だったので、おそらくテレビを見ながら書き取ったのであろうこと。
そして、私からのハガキをとても喜び大切にしていたので、お棺の中に一緒にいれたこと。
なので、クミコさんの住所がわからなくなってしまったこと。

そして。Kちゃんは83才だったこと。
(でも、おじいちゃん、と言う言葉はぜんぜん似合わない)

身内の縁の薄かったらしいKちゃんは、こうして、この世で、素晴らしい人と時間を共にした。
それは性別など関係ない、そんなものを越えた尊いものだった。

良かったねえ、Kちゃん。


今、Kちゃんの店は更地になった。
本当にちっちゃな三角形の土地を通るたび、Kちゃんを思い出す。

Kちゃん、ここにいたんだなあ。
もう、どこにもいないんだなあ。
でも、大切な人の心の中に生きているのだなあ。


それでいいんだ。

それでいいんだ。